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公演評

わかぎゑふ流大阪近代史としての「人間喜劇」 
玉造小劇店配給芝居vol.28『長い長い恋の物語』
​□ 瀧尻浩士

ひとりに 
神戸女学院大学音楽学部舞踊専攻『Blood and Steel』『The Last Place』、斉藤綾子『書くとか歩くとか』
​□ 上念省三

異貌の他者と近代のまなざし
――世田谷パブリックシアター×東京グローブ座『エレファント・マン THE ELEPHANT MAN』
​□ 藤城孝輔

楽曲の真髄に迫る――自由に貪欲に 未知なる高みへ
イスラエル・ガルバン『春の祭典』
​□ 矢萩智子

タイの政治がワタクシゴトになる芝居
ウィチャヤ・アータマート『父の歌(5月の3日間)』
​□ 柏木純子
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 装置など何もない簡素な小さな空間から、3世代に渡る長い歴史の時間が拡がっていく。『長い長い恋の物語』という劇のタイトルから、何か壮大な恋愛大河ドラマを思い浮かべるかもしれない。確かに時代と国籍を超えてつながる男女の想いが物語の縦軸としてあるのだが、観終わってみると、単なるラブストーリーにカテゴライズされるものではないことがわかる。
 在日コリアンのパク・ソジンを中心に、彼の家族、彼に関わる人物たちの物語が横軸となり、その縦横に織り合わされる登場人物たちの日常生活の描写は、物語がなぞる長い時間の流れの中で、大阪庶民の近代史が抱えてきたひとつの姿を舞台上に生成するのである。
 物語は、兄を頼って朝鮮半島から日本にやってきたパク・ソジンを中心に、戦前、戦中、戦後の長い激動の時間の流れの中で生きてきた在日コリアンと日本人の人生を描く。日本の大学に行くために来たソジンだが、兄に日本の社会を知るためにまず仕事をするようにと言われ、ある会社を紹介される。日本名、木村辰男という新しい名を与えられて。そこで彼は差別という厳しい現実を知ることになる。勤め先の土木会社では人を人と思わないような社長や社員から暴力的なひどい扱いを受ける。ある日、怪我をした彼は、社長の娘桜子から手当てを受ける。ふたりは次第に惹かれ合うが、社長がそれを許すはずがない。桜子はやがて嫁にやられ、ソジンは初めて会う同胞女性と結婚し、それぞれ別々の人生を歩む。やがて時は経ち、互いの子ども同士が友達であることから、偶然の再会を迎える。ソジンは昔、怪我の手当ての時にもらった桜子のハンカチを、今も大切に持ち続けていた。お互いに自分の心を隠しながら、またそれぞれの家庭にもどっていく二人。さらに時はたち、再び偶然はふたりをめぐりあわせる……。
 「恋の物語」という題の響きとは違って、劇全体がもたらす質感は、決して優しくなめらかなものではなく、どこかザラザラとしていて、観る者の心のどこかにひっかかりを残す。その「ひっかかり」とは何だろう。
 長い時間軸で芝居は進行していながら、舞台は常に「今」を感じさせる。冒頭の戦前の場面でも、観ていて過去の歴史の記憶を見せられているというより、その時代の「今」を共有している感覚を覚える。そして、その「今、現在」を感じさせる場面の連なりが、劇の中でやがて歴史となっていくのである。作者の評価の下に整理された過去の歴史をなぞるのではなく、良い意味で未整理のままの時代の日常を、我々観客は場面々々でリアルに目撃するのだ。
 作者があるテーマへと誘導してくれれば、それを解釈することで観るものは、劇を理解できたという着地点を得る。ではこの劇は、成就されなかった愛の歴史を謳おうとしているのか。否、そんな陳腐なメロドラマではない。では不条理な差別の実態を糾弾する社会派の物語なのか。そんな説教じみた新劇もどきの劇でもない。作者わかぎゑふは、登場人物が生きている、答えのない日常を様々なエピソードとして切り出して、再現し、並べて提示する。主張やイデオロギーで歴史を再現しようとしないこの劇の各場面は、観客に同意や同情を求めてはいない。差別や暴力をある主張で定義し、登場人物の役割を固定化し、歴史的整理をした上で見せようとはしていない。その未整理さゆえに、過去のどの場面も「今」であり、答えをさぐっている現在進行形のリアルな時間として、心にひっかかりをもたらすのである。

玉造小劇店配給芝居vol.28「長い長い恋の物語」
2021年2月16日(火)~21日(日)
ウイングフィールド

脚本・演出:わかぎゑふ
出演:コング桑田、野田晋市、うえだひろし / 笑福亭銀瓶 / 植木歩生子 / 長橋遼也、松井千尋、趙清香、吉實祥汰 / わかぎゑふ ほか

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 またこの劇はリアルな台詞と演技で進む。前半の戦前の場面では、目を覆いたくなるような惨い行為や耳を覆いたくなるような罵詈雑言が飛び交う。現代のモラル規範、倫理コードからすれば完全にアウトな表現、その野卑な台詞も、劇中の時代や社会、地域においては、その時代の「今の言葉」なのだ。台詞にキレイもキタナイもない。そこにあるのはその時代、その場所に生きた人々の「生きた言葉」だけだ。だからソジンに辛くあたる社長や会社の先輩たちの言動を取り上げて、現代の視点から糾弾することは必ずしも正しいこととは言えないだろう。また道徳的な立場から、正しい生き方を示し、間違った行いを批判するといったことがこの劇の目的でもない。粗野な言葉と態度があふれる社長天野の言動は非難され、憎まれるべき人間像を形成するどころか、むしろ彼の口から放たれる「生きた言葉」は生命力にあふれた個性的魅力を生み出していることが、そのことを証明している。
 このように台詞は、リアルな大阪弁で語られる。一口に大阪弁と言っても、地域や場面によって色々な顔がある。漫才のような剽軽さもあれば、アウトローのような粗野な一面もある。在日コリアンの歴史を描く本作においては、このリアルな大阪弁が有利に働いている。どんなに厳しい状況の場面やひどい罵りの言葉でさえも、どこかにユーモアと哀しさを備えた「生」の力強さを感じさせるからだ。
 このユニークなローカル言語で語られる本劇は、誰が正義で、誰が悪だとか、どちらが差別者で、どちらが被差別者であるかという単純な二分法のキャラクター分けを拒否する。例えばあれほど差別し酷使したソジンを社長天野は、後年会社の重役にして頼りにする。相変わらず口汚い言葉を吐くが、そこには信頼と愛情がある。また天野には一貫して、ソジン個人を憎む感情というより、差別や社会の理不尽さに対して怒るものが感じられる。日本人である彼もまた被差別民として生きてきた背景を持つからだ。憎しみと愛情、傲慢さと弱さ、そういった人間のアンビバレントな内面表現に、複数の意味を抱え持つ曖昧な言語である大阪弁は最適だと言えるだろう。
 芝居において、語彙やイントネーションが大阪弁のそれであるだけではダメだ。それをどういった状況で、どう使うかによって、演劇における大阪弁を話す人物たちの意味が決まってくる。その意味において、作者わかぎゑふは、状況における大阪弁の扱い方を裏表に十分に理解して、有効性をもって確信犯的にこの言語を操ることのできる、数少ない現代の劇作家のひとりだと言っていいだろう。
 この大衆的で力強い言葉にあふれた演劇から見えるものは結局、人間が生きること、生きるなかでの人と人との関わりという、国籍も世代も超えた普遍的な日常の生の営みのナマの姿なのである。エグイ大阪弁の台詞といううわべの表現形式だけを捉えるならば、大劇場での上演はためらわれるような作品かもしれない。そういう意味では現代の小劇場だからできる芝居でもある。そんな誤解さえもいとわないリアルな描き方で映し出された登場人物たちと我々観客は、その小さな空間で歴史的時間を共有するのだ。
 劇の中心であるソジン役のうえだひろしは、なれない日本語をたどたどしく話す、来たばかりの青年時代から、次第に「木村辰男」として日本の社会に根を下ろしながらも、朝鮮人パク・ソジンとしての自分を内に持ち続け、壮年、老年時代へと変化する人生の過程を演じわけた。ソジンの勤め先の社長であり、一人娘桜子の父である天野は、暴力的で粗野な差別主義者だが、彼もまた日本人でありながら差別を受け、過酷な戦前戦後を生き抜いてきた男である。そんな男の図太さと哀しさの両面をコング桑田は、ダイナミックにして繊細な演技で表現した。このような力量を見せる俳優のなかにあって、落語家の笑福亭銀瓶はソジンの兄だけでなく、小学校の女性校長などの女役まで複数役を演じ分け、本業の俳優に伍してそのユニークな存在感を示した。彼のみならず、この長い歴史物語の中で、俳優は色々な役を兼任するのだが、なかでも作・演出を兼ねるわかぎゑふの少年役はなんともチャーミングだったことは是非付け加えておきたい。
 大声で笑う喜劇ばかりが大阪の劇ではない。笑うことが主ではない喜劇もある。ちょうどチェーホフのものがそうであるように。本作は、松竹新喜劇のような伝統的な上方喜劇でも、吉本新喜劇のようなドタバタコメディでもないが、まぎれもなく大阪に生きるリアルな人間の生活と人生を描いた大阪の劇だ。どんな厳しい現実が描かれても、常にユーモアを携えた優しい視点が劇中に並走している。それが大阪という土地が生み出す人間喜劇の本質なのかもしれない。

​(2月19日所見)

瀧尻浩士(たきじり・ひろし)演劇研究。明治大学卒業、オハイオ大学大学院修士
課程、大阪大学大学院修士課程修了。大阪大学大学院博士課程在籍。上方落語、文楽、宝塚など関西発祥の芸能をこよなく愛する。『宝塚イズム』(青弓社)に執筆中。

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 島崎徹(「崎」の旁の上は「立」)が神戸女学院大学音楽学部音楽学科舞踊専攻の教員になって、15年が過ぎた。この間、バレエ・ブランの流れに連なるような愛らしい作品もあれば、クラシックの名曲を用いた流麗な作品もあり、また学生の体力の限界と更新をまざまざと見せつけるドラマティックな作品も多く、暗鬱な作品もあった。卒業公演と定期公演では、多くの場合4年生に新作を「当て書き」してきた。学年ごとに少しずつ異なる集団としての個性、個々のダンサーの特性、彼女たちの中で起こった事件などを巧みに織り込み、なるほどこの学年のために創られた、と思われるような作品を多く生み出してきた。

 今年度は1月15日の卒業公演(兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール)で『Blood and Steel』(以下、BSと略す)、3月10・11日の定期公演(豊中市立文化芸術センター大ホール)で『The Last Place』(以下、LPと略す)が新たに創作された。血と鉄。最後の場所。
 BSは、宇宙服を着た人間またはロボットのような者がぎこちなくゆっくりと同じ流れで動いてゆくのだが、その流れから一人、二人と逸れていく。また別の場面で、二人組になって踊っても、その二人の関係がわからない。速く機械的なユニゾンが続くと思えば、その列から崩れていく者がある。そのような、逸れること、頽(くずお)れてしまうこと、離(さか)ることが、強く印象づけられる作品だ。

△『The Last Place』 神戸女学院大学音楽学部音楽学科舞踊専攻提供

2021年1月15日第12回卒業公演(兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール)で『Blood and Steel』、3月10・11日の第15回定期公演(豊中市立芸術文化センター大ホール)で『Blood and Steel』『The Last Place』を上演。

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◁『Blood and Steel』 神戸女学院大学音楽学部音楽学科舞踊専攻提供

 顔は銀色にメイクされているようで、表情が見えず、どれが誰と同定することも難しい。その分、身体の表情が露わになる。舞台の上には上手に巨大な満月、下手に鉄パイプで組み上げられたオブジェが対比されている。月の方から鉄のオブジェの方へゆっくりと隊列をなして進む者たちだが、徐々に崩れていく者が増えている。開演前から打楽器やノイズがメインだった音楽が、ベートーヴェンのピアノソナタに変わる。が、時折そこに咆哮のようなノイズが混じり、それに押し込まれるように誰かが傷み崩れる。他の者と逸れた一人が月のほうへ向かって、倒れ、もがく。また咆哮が繰り返され、傷む者がある。…… 一人逸れ、傷むたびに、観る者の中でも何かが崩れ壊れていく。ソナタの抒情が断たれることが、観る者に痛みとなる。そんなふうに響いてくる。

 LPでダンサーたちは、修道士のような個別性を否定したような姿で現れる(衣裳デザインは、4年生の川崎萌々子)。フードを被り、マスクか化粧かで、こちらも顔がよく見えない。ステージの緞帳は真ん中まで下りていて、すべては見えない。緞帳が上がると奥にも数人のダンサーがいて、逆さ鏡のように反応する。中央には月を伏せたような半球が埋められており、もしかしたらBSで中天に懸かっていた月が地に墜ちてこんな姿になっているのかもしれない。

 定期公演ではBS上演後、一作品挟んでLPが併演されたこともあって、この二作を繋げて考えることにして、間違いはないと思う。BSで中天に懸かっていた月が、LPでは地に埋められているが(BSよりLPのほうが後の時間に起きているという前提でだが)、いったいここには何があったのだろうか。もしかしたら、ぼくたちの希望は、地に墜ち、みじめに踏みしだかれているのだろうか。あるいは、聖なる地として崇められているのだろうか。もし多くの者が天空のそれを求めて、見つけられずに彷徨っているのなら、「お前が求めるものなら、ここにあるじゃないか!」と教えたくなる。

 この作品世界の中で生きて(踊って)いる者たちは、世界に何を求めてここまで辿り着いているのか、ぼくにはわからなくなってくる。しかし、このわからなさは、実はぼくたちの現在地にとって、ずいぶん親近感のあるもののようだ。ぼくたちが何のために何と戦ってここで苦しんでいるのか、わからなくなっているという感覚だ。もちろん真摯だ。しかし、その先が見えない。先があるのかどうかもわからない。

 そのような希望の見出しにくい真摯さを、ダンサーたちは執拗に低い姿勢を保つことで抱え込もうとする。そのことが観る者に与えるのは、地を這うようなという形容からくるネガティブに向かう感情や、それの裏返しのようだが力強さに打たれる強い感情だ。つまりは、ネガティブな状況にもかかわらず、力強く地を這うように進んでいる者たち、というイメージが定着されることになる。それを若いダンサーたちは、ありうる限りの誠実さと愚直なまでの真摯さで踊りきったと言っていい。

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◁『Blood and Steel』 ▷『The Last Place』 神戸女学院大学音楽学部音楽学科舞踊専攻提供

 そもそもダンスは、そして特に神戸女学院における島崎の振付作品は、このような真摯さを打ち出すことに長けている。ぼくたちは、目の前のことに真摯になることだけは、現在に最善を尽くせば、できるだろう。ダンスは、すぐれて目の前の現在しか持たない表現であるように思う。ハッとするようなダンスを目の当たりにしたとき、少し前の動きのことは覚えていないし、次の瞬間には忘れている。ダンスの感動とは、現在の集積でしかないのではないだろうか。ただし、それは澱(おり)のように個々の底部に積もって重みを増していくのだが。
 舞台上で鉄パイプのオブジェに対比されていた月は、人工に対する自然、硬さに対する和らぎ、近代に対する悠久であるように、一般的には受け取ることができる。それにしても、一人が逸れて月の方に向かっていくというのは、どういう心映えだったのだろうか、と、考えるよりも先に月下に倒れていた一人のもがきあがきの、身体が床に擦れる痛みについて思いを馳せる。その人は、なぜ一人にならなければならなかったのだろう。大ぜいでいれば、他者の肉の柔らかさや温もりに救われることもあるだろうに。月に対するステレオタイプな思い入れが、何か間違っているのだろうか。
 ディストピアを描いた『AKIRA』(大友克洋、1982-1990連載)や『FLYING SAPA』(宝塚歌劇宙組、上田久美子、2020)、あるいは終末の後(ポスト・アポカリプス)を描いた『寿歌』(北村想、1979)を思い出してしまう。
 気づいたのだが、舞台袖に引っ込むダンサーの足取りが、非常に鋭い。あぁ、ぼくたちからは見えないどこか向こう側に、何かがあるのだろうなと、しかしそれはこの世界にとって、個人にとって、肯定されるべきものなのかどうか。
 さて、実はこの二作品については、島崎自身が「ごあいさつ」の中で「作者である私にとっては世界中で猛威を振るった、新型コロナウイルスの影響を受けて創作したという点において繋がった作品です。(中略)BSでは帰りたい場所のために、LPでは最後に残された場所を求めてです。」と重い言葉を書き寄せている。
 LPに見たのは、既に世界は終わりを迎えていたことをぼく(たち)は気づかないのか忘れてしまっているのかしていて、人々は硬直してしまっているのに、ぼくはまだ(どこかに)進もうとしているのだが、一人で行かなくてはならない…空気が薄いような気がする……そんな状況だ。島崎のいう「最後に残された場所」は、そこへ行けば救済が待っているのかどうか、わからない。それでもそこへ向かって匍匐する一人が崩れ、痙攣し、ゆっくりと幕が下りる。

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斉藤綾子ソロダンス公演「書くとか歩くとか」撮影:田中愛美

 悲観でも楽観でもなく、この後もこの一人は進み続けるだろう。日時は遡るが、この一人の、もしかしたら何世か後の姿を探し当てたように思い返すのが、ソロダンス公演『書くとか歩くとか writing and walking and』(2020年11月7~8日、京都・人間座スタジオ)での斉藤綾子だ。

 人間座スタジオという、2020年末で有観客公演の開催場所としては閉館することが決まっていた会場の床は、この日紙に覆われていた。彼女は紙を繕っていた。それは、床を、すなわち大地を修復しているようでもあった。世界は今、修復されなければいけないとして、そこで彼女はどのように踊るのか。

 斉藤が紙を修復する姿もまた、床に顔を近づけて、地を這うようである。一人で這いつくばって床の紙を、つまりは大地を修復している姿に、奇妙なことに悲壮感はない。修復すべき穴や傷を見つける視線は獲物を狙うハンターのようでもあり、四肢はツイスターゲームのように伸びたり絡まったりして、結果的にその動きは振付のような美しさまたは奇妙さを帯びることになる。その移行はとてもなめらかで、いつの間にか作品のような時間になっていた、というありさまである。

 やがて中央に座った斉藤の動きは大きくなり、腕の先端から伸びる彼方への視線が会場の隅々まで行き渡り、四肢の動きが慣性に従って次の動きを導き出すように自働化する。時折、沈思するような静止の時間があるが、基本的には世界の修復が続けられる。

 ややリズミカルな雨音につられて、斉藤は立ち上がり、足の動きが床の紙にねじれを引き起こすことになる。はじめは小さな皺のようだが、徐々に荒れた海面のようになっていく。ショパンの「小犬のワルツ」が流れると、動きがいっそう激しさを増し、無頓着にか自然にか意図的にか、勢いをつけた回転によって紙を脚で巻き込み、一かたまりになった紙は、まるで石見神楽のヤマタノオロチのようにとぐろを巻いている。そのかたまりから、すっと離れ、かたまりを隅に押しやり、佇立する。

 これは全く予想外の展開だった。床であり大地である紙は、常にダンサーの脚下に共にあり、作品成立の前提であると思っていた。そこから強引に去り(大地を押しやったのか、別の地平に移ってきたのか)、どこかしらさっぱりと、肩の荷を下ろしたような佇まいで何かに見入っている。

 小っ恥ずかしいようなことを言うが、斉藤のことは小学生ぐらいの頃から見ていて、いつまでも子どもだと思っていたが、いつの間にか大人になっていることに改めて気づかされたように思う。彼女がつくる世界があり、それを彼女が壊すこともあり、勝手に壊れることもあり、そして彼女はそれを一人で見つめてしまうこともある。つくられた世界も美しかったり貴かったりしただろうが、それが壊れたり見られたりしていて、そこに佇まざるを得なくなっている彼女も含めて、美しく貴い。ある一つの世界をつくり、消去した後に残る一人の抱えている茫漠か何かを、ぼくは覗き込み共有することはできないが、共に惜しむことはできるのではないかというかすかな、希望とは言えないが、言い訳のような残る思いを抱くことができるように思う。何に対する言い訳だろう……世界を共につくり共有することができなかったことにか。

斉藤綾子ソロダンス公演「書くとか歩くとか」
2020年11月7日(土) - 8日(日)
全8回 1回5席
[会場] 人間座スタジオ

作、出演|斉藤綾子
舞台監督|北方こだち
照  明|阪上英里子
音  響|下田要
アシスタント|辻史織

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斉藤綾子ソロダンス公演「書くとか歩くとか」撮影:田中愛美

 それは、島崎のBSとLPが描いた世界を見終えた後に萌え出る思いだったようでもある。作品に対して、出所不明の申し訳なさが立ち昇ってしまう。この感覚は、ぼくの中でずいぶん長い間忘れられていたもののように思う。おそらくこれは、現下の状況から導出されたものに違いないと、少し時間がたって、思い当たる。

 思い出したのは、唐突なことを承知で、大友良英が2012年7月にNHKの「課外授業 ようこそ先輩」で母校である福島市の福島第一小学校を訪れ、「昨日、みんなが録音しに行った時さ、線量計持ってかなきゃいけなかったでしょ? 放射能の事、考えながらさ。何か、こんな世の中にしちゃったんだって思ったのね。みんな、いい世の中作ろうと思ってやってきたんだよ。僕らも僕らより大人の世代もね。だけど失敗しちゃったんだよね。悔しいし、みんなをそんな目に遭わせちゃってホント申し訳ないと思う。何か、ホント、ごめんって思う」と、泣いていたことだ。この申し訳なさは、東日本大震災後の思いだったわけだが、コロナ下の今、ほとんど同様の思いに駆られてしまっているぼくがいる。

 もしかしたら島崎は、それに似た思いをいだいて、学生たちに二つの作品を書いたのかもしれない。あるいはそこから怒りをぶつけていたのかもしれない。ちなみに大友良英とぼくは8日違いの同い年だ。島崎は少し若い。斉藤とぼくは一世代(30年少し)離れている。斉藤のつくる世界は、あえてなぞって言えば、大友(やぼく)が謝らざるを得なかったこんな世の中が消去された後の世界かもしれない。……そんな喩は、どうでもいい。

 その後、紙の塊から離れた斉藤は、バランスの保持と、ある動きからの連鎖による流れを経て、また「小犬のワルツ」を聴きながら紙を床一面に広げ(よくもうまく広がるものだと感嘆した)、紙の上に正座し、上半身を大きく動かしたり、肘から肩を連動させて見せたりする。それらの動き自体からは、何らかの意味を見出すのは難しいし、意味もないことなのかもしれない。さっき考え始めた喩のことを、できれば頭から消し去りたい。ただ動きに没頭していたい。この場面は前半よりも穏やかな気分がする。それは、一度は目にした世界であり、それを受け入れる素地が彼女の中に用意されていたのかもしれない。

 前半と同様に紙の床を修復し続けていると、やにわに立ち上がり、腕を大きく柔らかく回し始める。振り子を思わせる動きや、腕が扇風機になるような動きがある。すべての関節が連動しているような、奇妙だが魅力的な動きだ。実はこの、不随意であることをコントロールしているような一連のダイナミックな動きが、斉藤のダンスの魅力ではないだろうか。そしてある静止点で世界が溶暗する。

 必ずしも世界の状況を語る作品であると見る必要はないかもしれないが、どうしても紙=床=大地=世界であると思わせられてしまう以上は、この無茶苦茶な世界のことを思わざるを得ない。ダンスは、特にコンテンポラリーダンスは世界を何度も微分するようにして抽象度を高めてきたし、観るほうもその前提の覚悟で、懸命に何重にも積分するという作業を行ってきた。島崎と斉藤とでは、微分の手つきや回数が異なっているだろう。しかしこの2人によって昨年の秋から2カ月おきに提示されてきた世界と、現実の世界が大小の揺れを繰り返しながら確実に悪い方向に向かっている中での無力感を思い起こして、いや思い起こすまでもなくその只中にいることに気づかされて、さてぼくは、この後の歳月をひとりでどのように(ぼくは踊る人ではないが、羊男が「僕」に踊り続けるようにと言ったことを借りることができれば(村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』))踊り続けることができるのか。LPの最後でひとりになってもがいていた彼女、ひとりで紙に象徴される何ものか外部と格闘していた斉藤、の後塵を拝することになってもよければ、その列に加わることをゆるしてほしい。(島崎徹の「崎」の旁の上は「立」)

上念省三(じょうねん・しょうぞう) 1959年明石市生まれ、神戸市在住。ダンス批評。西宮市文化振興課アドバイザー。神戸女学院大学等非常勤講師(アート・マネジメント、世界舞踊史、舞台芸術論等)。「ダンスの時間」「さなぎダンス」などのダンス公演、音楽公演「ミジカムジカ」を企画制作。

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斉藤綾子ソロダンス公演「書くとか歩くとか」撮影:田中愛美

(卒業公演は1月15日、定期公演は3月10・11日両日の所見。斉藤綾子ソロダンス公演「書くとか歩くとか」は、11月7日・8日両日の所見)

異貌の他者と近代のまなざし
―世田谷パブリックシアター×東京グローブ座
『エレファント・マン THE ELEPHANT MAN』

世田谷パブリックシアター×東京グローブ座『エレファント・マン』撮影:細野晋司_HSF7846★.jpg

 バーナード・ポメランスの1977年の戯曲『エレファント・マン』は、これまでに多くの演出家と演者の手によって上演されてきた。全身に広がる重度の奇形のために見世物にされ、「エレファント・マン」の異名で知られた19世紀イギリスの青年の実話に基づく作品である。2020年9月に行われた今回の公演では森新太郎が演出を務め、ジャニーズWESTの小瀧望が主人公のジョン・メリックを演じた。象の檻を模しているようにも見える格子状の半透明のパネルがステージ中央で回転するシンプルな舞台装置は、観客の注意をステージ上に配置された展示物の目玉である美しいアイドルに向けさせる。羨望と好奇のまなざしという違いはあれ、かつてヨーロッパの見世物小屋で観衆がメリックに向けたまなざしの再現に劇場の観客(あるいはオンライン配信の視聴者)は必然的に加担させられ、そこはかとない後ろめたさを感じることになるだろう。

 デヴィッド・リンチの1980年の映画(ポメランスの戯曲ではなく当時の医師による手記を原作としてクレジットしているが、戯曲からの影響は明白である)では特殊メイクによってメリックの奇形が忠実に再現されたが、舞台ではメリックの役を美男子が演じることが定石とされてきた。私が過去に観た中だけも、少年のような細身が印象的な藤原竜也やマッチョのブラッドリー・クーパーといったタイプの異なる二枚目俳優が起用されており、今回もその伝統は踏襲されている。小瀧は180センチの長身であり、均整の取れた体つきやほどよくついた筋肉といった肉体の健全さが強調されているように思える。最初の登場シーン、小瀧のメリックはぼろきれを腰に巻いただけの半裸で舞台中央に直立し、眼鏡に口ひげにフロックコートといかにも英国紳士然とした近藤公園演じるトリーヴズ医師が体の奇形を仔細に解説していく。茶色のカリフラワーのように肥大した頭部、口からピンク色の切り株のように突き出した上あごの骨、ぶかっこうで水腫のようにむくんだ両脚、杖なしでは歩くことのできない腰……。トリーヴズの言葉に合わせて健康な美形の青年である小瀧は顔や全身を少しずつ歪めていき、舞台背景に投影された実際のメリックの写真に近づいていく。奇形を持ったメリックの「醜さ」が、近代社会の人々が彼に向けたまなざしによって形作られていることを如実に示す演出である。

 メリックの奇形を醜悪な見世物として消費し、嫌悪を隠そうともしない大衆。病院に引き取られたメリックに対して憐憫のジェスチャーを示すことで自己満足に浸る名士たち。メリックに「家」となる居場所を与える一方で、性生活を含めた彼の生活のあらゆる側面を管理下に置いて彼の自由を奪う病院。こうしたメリックを取り巻く人間たちに見られる相似関係は、小瀧以外の出演者全員が複数の役を担うことによって具現化される。メリックに理解を示すトリーヴズ役の近藤と病院理事長を演じる木場勝己はメリックを警棒で打ちすえるベルギーの警官役を兼任し、「エレファント・マン」の見世物で日銭を稼ぐ強欲な男として登場した花王おさむは病院でメリックに教義を説くウォルシャム主教に扮して再びステージに現れる。劇場で脚光を浴びる人気女優のケンダル夫人を演じる高岡早紀は、メリックと同じように見世物小屋の舞台でみずからの奇形を衆目に晒すどんぐり頭の一人も演じている。これにより、善意からメリックを受け入れる病院の人間たちが併せ持つ強権的な管理主義や教会の権威と表裏一体となった偽善、女優としてまなざしの対象物となることの見世物的な性質などが象徴的に示唆される。それはこの劇が主人公であるメリックそのものよりも、メリックという異貌の他者にまなざしを投げかける近代社会のありようを暴き出すことに重点を置いているためであると言っても過言ではない。そして私たちは、観客たる私たち自身のまなざしのありようも問われていることを意識せずにはいられない。

世田谷パブリックシアター×東京グローブ座『エレファント・マン』撮影:細野晋司(2020年 会場:世田谷パブリックシアター)

世田谷パブリックシアター×東京グローブ座『エレファント・マン THE ELEPHANT MAN』2020年10月27日(火) ~11月23(月・祝)世田谷パブリックシアターアンコール配信2021年3月13日(土)~14日(日)作:バーナード・ポメランス(翻訳:徐賀世子)演出:森新太郎出演:小瀧望(ジャニーズWEST)、近藤公園、花王おさむ、久保田磨希、駒木根隆介、前田一世、山﨑薫、高岡早紀、木場勝己

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映画『エレファント・マン』DVD

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世田谷パブリックシアター×東京グローブ座『エレファント・マン』撮影:細野晋司(2020年 会場:世田谷パブリックシアター)

 近代社会の病態に対して最も鋭く批判が向けられるのが、トリーヴズがうたた寝で見る夢のシーンである。ちょうどトリーヴズがメリックの身体的特徴を説明した序盤のシーンを逆転させたかたちで、今度は夢うつつで舞台中央に立つトリーヴズのそばで洒脱なコートに身を包んだメリックがトリーヴズの全身について饒舌に解説しはじめる。聴衆は舞台下手に並ぶ三人のどんぐり頭の奇形者たち。トリーヴズの上司にあたる病院長は彼を飼育する見世物師に扮して登場する。善意の啓蒙、世に光をもたらしたいという自己催眠にとらわれた頭。自己批判の類を口にすることができない口。自分にとって都合の良い秩序ある世界に不満を持つ者と対峙するために屹立し、こわばった背中。権威を示すことと与えるという善行の区別がつかない手。定期的に制限・管理・罰が投じられなければならない暗黒の植民地としての生殖器。メリックが繰り出すこれらの辛辣な言葉の数々は、産業革命のさなかにあった19世紀イギリスが迎えた近代を「伝染病」として描き出す。劇中では醜い存在として扱われながらも観客の目には健全な美青年として映るメリックの反転画であるかのように、近代的知性と博愛精神を体現するトリーヴズは近代という病患におかされた人物であることが暴かれるのだ。

 大英帝国の植民地主義に代表されるように、近代国家は他者と自己の峻別によって自国のアイデンティティーを確立することで支配や侵略を正当化した。異民族に対するみずからの優位性を確信し、心身に障がいを持つ他者と比較してみずからを正常で健全な存在と見なすしぐさは、近代に特徴的な自己認識の手法である。近代人がみずからを文明を有した万物の霊長であると認識するためには、「エレファント・マン」という人間と動物の境界に位置づけられた他者が必要とされた。ポメランスの戯曲はこのような近代的認識を批判的に描き出している。配役や登場人物の対比を通して、森の演出は戯曲の批判精神を色濃く浮かび上がらせる。先駆者たちの公演から引き継がれたバトンを的確に受け取った一作だといえるだろう。

藤城孝輔(ふじき・こうすけ)
岡山理科大学講師。専門は映画学(博士)。アダプテーションや沖縄映画を研究している。

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ひとりに―― 神戸女学院大学音楽学部舞踊専攻『Blood and Steel』『The Last Place』、斉藤綾子『書くとか歩くとか』

上念省三

わかぎゑふ流 大阪近代史としての「人間喜劇」

玉造小劇店配給芝居vol.28「長い長い恋の物語」

瀧尻浩士

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世田谷パブリックシアター×東京グローブ座『エレファント・マン』撮影:細野晋司(2020年 会場:世田谷パブリックシアター)

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楽曲の真髄に迫る――自由に貪欲に 未知なる高みへ

イスラエル・ガルバン『春の祭典』 

矢萩智子

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  イスラエル・ガルバンの来日公演『春の祭典』が、2021年6月18日から20日までKAAT神奈川芸術劇場ホール、23日〜24日に愛知県芸術劇場コンサートホールにて開催された。
 1913年初演の『春の祭典』は、バレエ・リュスのプロデューサーであるセルゲイ・ディアギレフがイーゴリ・ストラヴィンスキーに作曲を委嘱し、バレエ音楽として生まれた。振付はヴァーツラフ・ニジンスキーで、内股のポーズを取らせるなどこれまでのクラシックバレエの技法を破壊したその振付は、観客に大きな衝撃を与えた。会場は野次で溢れ返り、大混乱に陥ったことは有名である。今でこそ受け入れられ演奏会の演目としても人気が高いが、バレエの常識を覆した振付に、当時は多くの人が嫌悪感を抱き、また楽曲の不協和音に馴染みがなく苦痛に感じたのだろう。

 しかしその後、モーリス・ベジャールやピナ・バウシュなど数々の著名な振付家がこぞってこの『春の祭典』の創作に挑むことになる。当時強烈なセンセーションを巻き起こしたこの題材に敢えて挑むのは、それだけこの『春の祭典』の楽曲が、人を惹きつけて離さない力を持つからにほかならない。振付家それぞれが独自の解釈で傑作を生み出してきた『春の祭典』だからこそ、フラメンコ界の革命児と称されるガルバンの『春の祭典』に期待が高まる。
 
床に寝そべる格好になり足で弦を鳴らしている。舞台上にガルバン一人の冒頭シーンはとても印象的で、静寂の中に響くのは弦の弾かれる音、擦れる音。ダンスコンサートとして上演された愛知県芸術劇場コンサートホールの音は、とても鮮明でよく響く。その音に耳を、目を凝らしているうちに、その始まりに意気込んだ自身の身体の緊張がすーっと解かれてゆく。いい意味で肩透かしを食らったような、そんな不思議な序章だった。
 そして始まるピアノ2台による演奏――。筆者はこの『春の祭典』のオーケストラ演奏は何度も聞いたことがあるため、楽曲としてそのイメージが強く、2台のピアノで果たして満足できるのだろうか…と失礼ながら思っていた。しかし、ガルバンがこの『春の祭典』は「音楽それ自体が主人公であり、自分は音楽や動きそのものとなる」(パンフレットインタビューより)と述べているように、それは2台のピアノ演奏作品というだけに留まらない。2台のピアノの旋律に、ガルバンの放つ美しいだけではない生々しい音が加わったのだ。
 舞台上には複数個所に台座が置かれ、コンパネのような板や蹴って鳴らす鈴が入った桶があり、砂が盛られている一角もあった。ガルバンはその仕掛けをうまく使いながら様々な音を演出する。彼自身が自由自在に音を発し、奏でることで生み出される複雑な音が幾重にも重なることで、より肉付きのある生命力に溢れる楽曲となっていた。
 そして、彼自身が打楽器的な役割を担うことで何が興味深かったかと言うと、音楽と舞踊が共に在る、同志である、ということが強く感じられたことだ。舞踊作品を創作する際に、音楽からインスピレーションを受け、そこにストーリーを見出し、振付を考えるという一連の流れはとても自然だと思う一方、舞踊はそうして音楽を表現する、といった風に、後発的な立場で捉えられてしまう部分もある。それが良い悪いというのではなく、どうしても音楽に縛られてしまうきらいがあると感じていた。しかし、ガルバン版『春の祭典』は、そういった音楽と舞踊の関係から抜け出し、ひたすらに楽曲の持つ力を信じて真っ向から楽曲に挑んだ傑作だった。ダンサーでありながら、音楽を奏でるもう1人の奏者として見事に完走したのだ。その点で、かつての巨匠たちが創作した『春の祭典』とは質を異にする内容であり、その独創性は言うまでもない。しかし、砂の踏みしめや赤いソックスの使用には、ピナ・バウシュ版の選ばれた生贄の乙女を想起させたし、ニジンスキー版の内股のポーズも見られた。新たなものを創り上げた中でも、先人たちの創作した『春の祭典』へのオマージュが見られたことも興味深い。
 ガルバンは1998年以来革新的な作品を次々に発表している。フラメンコ伝統主義者からは「あれはフラメンコではない」と言われているが、ガルバンはあくまでそのフラメンコの特徴の一つである“自由さ”を追求している。その矛盾がなんとも面白い。ガルバンは、人や様々なものからインスピレーションを受け、吸収し、“自由に”踊る。彼独自の表現を目指すのだ。そうしたガルバンのパフォーマンスは世界中で評価され、2004年発表の『アレーナ』で賞を受けて以降海外でも多くの賞を受賞し、「天才」「革命児」といった賞賛を欲しいままにしている。『春の祭典』に於いてもそんな彼の根本にあるのはもちろん、間違いなくフラメンコなのだが、しかしその枠は遥かに超えているといっていいだろう。そもそも、ジャンル分けすることすら愚問なのだとも思うが、敢えて彼がフラメンコ・ダンサーであることに触れておきたい。それには、フラメンコならではの床を踏み鳴らすその様が原始的な儀式のイメージと見事に重なったからだ。現在進行形の儀式そのもの、祈りの舞いに見えてくるから不思議だ。

 他にも、後半の黒い巻スカートのような衣装で足元がすべて隠されたシーンは神秘的で、これもまた、儀式の雰囲気を想起させるものでもあり、それでいてフラメンコの衣装捌きのような、技の美しさも見えた印象的なシーンとなった。一方で、手を上に捻り上げるような振りが何度も繰り返され、より自由に、より貪欲に、楽曲に没頭する様は、未知なる高みを目指すようで、強く掻き立てられるものがあった。加えて、遊び心といっていいのか、いわゆる音ハメといったシーンもあり、盛り上がりのところでここぞとばかりに音楽と床踏みの音が合わさってくるのには、「待ってました!」と言わんばかりに鼓動が跳ね、全身で喜びを享受したような感覚を覚えた。複雑なリズムや旋律で構成されている楽曲に忠実に寄り添いながら体現される『春の祭典』。それは楽曲の魅力を改めて認識させられる舞踊作品であった。

イスラエル・ガルバン『春の祭典』 

​(c)Naoshi Hatori

バレエ・リュス Ballets Russes(仏)1909年にディアギレフ(1872~1929)が創設。パリを中心に、ヨーロッパ、アメリカ等で、新進気鋭の美術家・作曲家とコラボレーションした新作を60本以上発表した。ロシアでの上演記録はない。プティパ+チャイコフスキーによって達成されたクラシック・バレエの頂点以後の、新しいバレエを提出し、確立させた功績は大きい。1929年、ディアギレフの逝去により解散。

2021年6月23日(水)、24日(木)

愛知県芸術劇場 コンサートホール

演出・振付・ダンス:イスラエル・ガルバン

ピアノ:片山 柊、増田達斗

Le Sacre du Printemps 作曲:イーゴリ・ストラヴィンスキー
Piano Distance 作曲:武満 徹
Ballade 作曲:増田達斗

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 そして『春の祭典』の演奏が終わり、武満徹の『ピアノディスタンス』、そして増田達斗による『ピアノによるバラード』へと続く公演の第2章では、ガルバンが増田の曲で流れるように踊る姿が、『春の祭典』での踊りとは対照的で際立った。振りに即興の色が濃い印象で、儀式を経て解放された魂が、瑞々しい音色が降り注ぐその中を自由に泳ぐようであった。『春の祭典』の余韻を無駄にせず引き継ぎ、更には呼応を感じさせる構成に感嘆した。
 このコロナ禍で、国内外問わず多くの公演が中止を余儀なくされてきた。特に今回は海外招聘公演であったため実現できるか直前まで予定が定まらなかったと聞く。その中で、入国や隔離について等の様々な課題をクリアし、今できることを最大限に取り組み、公演開催まで辿り着いた。まさに、宣伝文句に違わぬ“奇跡の来日”である。その道のりは如何ばかりか。来日を決めたガルバンをはじめ、制作側の覚悟と意気込みに深く敬意を表したい。日本を二つ目の故郷だと言うほどにガルバンが日本に馴染みがあり、信頼関係を築けていたことも来日決断の背中を押すきっかけになっただろう。一方で、この公演が実現されたことは、奇跡という言葉だけで片付けていいものではないだろう。本公演は、当初出演予定だったメンバーの来日が叶わなかった。しかし、日本の地で若いピアニストとの新たな出会いを得たことで完成した、最良のプログラムであった。先の見えない不安な状況の中にいてなお、踊り続けることを止めず、進化し続けることを求めた結果、掴みとった“必然”なのだ。
 未来は不安だらけだ。パンデミックの収束は未だ見込めない。この先にも中止となる公演はあるだろう。しかし、歩みを止めることなく、この生の芸術舞台の魅力を、これから先の未来に残したい。人が密に集い、交流できる日がいつかまた来ると願い、希望を持ち続けたいと思う。

(6月24日、愛知県芸術劇場コンサートホールでの所見)

イスラエル・ガルバン『春の祭典』 

​(c)Naoshi Hatori

矢萩智子 やはぎ・さとこ
1988年生まれ、神戸市出身。神戸大学大学院人間発達環境学研究科修了。公益財団法人神戸市民文化振興財団で2014年から3年間、神戸文化ホール自主事業の企画・制作を担当した。出産を経て愛知県に居を移す。現在は公益財団法人愛知県文化振興事業団に在籍し、総務事務に就く。

タイの政治がワタクシゴトになる芝居

ウィチャヤ・アータマート作・演出『父の歌(5月の3日間)』(映像配信)
KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭

柏木純子

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 タイの気温は年中30度を超え、なかでも5月はより暑く、雨が降って蒸すらしい。コンクリートの壁や床の冷たさが心地よく体に染み入り、汗を扇風機の風がとばす。そうした感覚を想像しながらぼんやりと物語を体感した。相変わらず海外作品を国内で目にすることが困難な状況は続き、KYOTO EXPERIMENT参加作品、ウィチャヤ・アータマート作・演出『父の歌(5月の3日間)』はオンラインでの映像公開を余儀なくされた。劇場好きの私にとってオンラインでの鑑賞、特に収録された映像の鑑賞は少し気が引けたが、作品が始まるとそのような懸念は吹き飛ばされた。映像の中に引き込まれ、訪れたこともないタイの空気が感じられた。

 アータマートはタイ国内外で注目を集める若手の演劇人だが、大学では映画を専攻しており、本作は「演者と観客が同じ場所を共有する」という演劇の性質を意識した映像に仕上がっている。はじめに右側にある小さな祭壇が目に入る。写真にうつるタバコを咥えたサングラスの男が少し胡散臭くて笑える。これが父の姿なのだろう。電子ピアノの歌謡曲が流れて作品が始まったのだと分かると、黒いレースの衝立の裏に人影が動く。何かを飲みながらスマートフォンを見ているようだ。人影の動きを追っているうちに視野が固定される。この冒頭の数十秒で、自分が客席の中央に座っているような感覚になる。

 登場するのはバンコクに暮らす中華系タイ人の姉弟。父の供養のためにかつて住んでいたアパートに集まり、居間のテーブルを囲んで父の思い出を語りながら夜明けを待つ。姉は気が強く、会話の端に「アッ?」「ワッ?」という音がよく入る。正確なニュアンスは分からないが、日本語だと「はぁ?」「えっ?」あたりだろうか。弟は強気な姉をやり過ごす術を習得していて、話を聞かなかったり、無視したり、逆に容易に従ったりする。あまりにも自然なやりとりを前にして、タイの異国情緒に思いを馳せるというよりも、自分や家族の人生を振り返る時間となった。日本人による日本の作品を日本で観る感覚とほとんど変わりなかったのが不思議だ。

  タイトルにある「5月の3日間」はある年の連続した日付ではなく、数年に跨った3日間を指している。

 1日目、2015年5月17日。午前4時になってやっと部屋に来た弟に姉が文句を言いながら供養の準備を始める。父の死から3年ほどが経ち、墓の管理が面倒になってきたからと遺骨をこの家に持ち帰ろうということになる。

 2日目、2018年5月19日。お焚き上げ用の折り紙を作る。彼らの持ってきたケーキのどちらが父親の好みに合っているか分からなくなり、コイントスで決めることにする。

 3日目、何年か後の5月22日。家を売って、遺骨を海にまくことにする。朝日が部屋に差しこむ中、お供えのチキンライスを食べながら「もう会うこともないのか」と話し、供養が終わる。

 1時間半の供養の中で姉弟が近況報告をしながら、歌手だった父がよく口ずさんでいたレスリー・チャンの『月亮代表我的心(月は何でも知っている)』やテレサ・テンが歌う『昴』を流す。日本人の耳にも馴染みのあるメロディラインは20代の私でさえ懐かしさを感じる。ふたりが集う日付は父の命日のはずなのだが年々少しずつずれており、その適当さに寂しさを感じた。彼らは墓も、遺骨も、部屋までも手放し、ついには父との思い出をも手放すことになるのではないか、姉弟のつながりも消えてなくなるのではないかと想像してしまう。

 この作品にはタイの物語でありながら日本人も共感できる演出が散りばめられ、なんの変哲もない日常として自分のことのように解釈してしまう。けれどもやはり、彼らの近況や歌や日付には、現代のタイにおける軍事支配を象徴する政治的な意図が含まれ、タイの観客には当然のようにそうした社会情勢が思い起こされる内容なのだという。

Photo by Wichaya Artamat, Courtesy of Kyoto Experiment.

脚本: ウィチャヤ・アータマート、チャトゥラチャイ・シーチャンワンペン、パーンラット・クリチャンチャイ
演出: ウィチャヤ・アータマート
出演: チャトゥラチャイ・シーチャンワンペン、パーンラット・クリチャンチャイ、サイファー・タンタナー
セノグラフィー: ルアングリット・サンティスック
技術・照明デザイン: ポーンパン・アーラヤウィーラシット
ミュージックビデオ: アティクン・アドゥンポーカートーン
舞台監督: パティポン・アサワマハポン
制作: ササピン・シリワーニット
後援: タイ王国大阪総領事館
助成: 文化庁文化芸術振興費補助金 (国際芸術交流支援事業) | 独立行政法人日本芸術文化振興会
主催: KYOTO EXPERIMENT

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Photo by Wichaya Artamat, Courtesy of Kyoto Experiment.

 KYOTO EXPERIMENTはこの作品の字幕を担当した福富渉の解説記事やインタビュー動画を公開し、作品に隠されるタイの社会情勢を周知しようとしていた(https://kyoto-ex.jp/magazine/sho-fukutomi2021s/)。この5月の3日間はいずれも軍事クーデターにより建物が破壊され、銃撃で多数の死者が出た記憶に残る日付なのだという。姉弟はこうした出来事による傷を抱えながら生き、「父」を語る。その「父」も亡くなった親だけを指すのではない。自分たちのアイデンティティを示す「父」は誰なのかと、華人のアイドル的存在としてレスリー・チャンやテレサ・テンの名を挙げる。一方でタイの「父」であるはずの国王の存在には一切触れられず、姉弟が「権威主義的な統治や国民統合のあり方に抗いながら、より民主的な社会を望む」意思が暗に表現されているのだそうだ。

 こうした背景を踏まえ、日本人にも馴染みがあるものとしてノスタルジックに消費してしまった「父の歌」の内容を振り返ると次のようなことが言えるのではないだろうか。

 まずレスリー・チャンが歌う『月亮代表我的心』。この曲を聞いて姉は、父が暗い空を眺めながら「私の愛がどれほどか月がしめしてくれる」と口ずさんでいたことを思い出す。この曲の流れる間、チャンをはじめ、フレディー・マーキュリー、ダイアナ妃、マイケル・ジャクソン、ジャッキー・チェンなど「死んだふりをした有名人」の映像が流れる。死んだと思われている人々は実はどこかの島に集まって幸せに暮らしているらしい。皆、思い思いにアイドルの面影を追うだろうが、彼らの父親は月が見えない時にこれを歌っていたという。タイにいる華人にとっての「父」は父親が生きていた頃からタイには存在しなかったということなのかもしれない。

 そしてテレサ・テンが歌う『昴』。彼女は谷村新司のこの曲の1番を日本語、2番以降を中国語で歌っている。姉は父親が口ずさんでいたことから中国語がオリジナルだと勘違いしているが、弟は日本語版、中国語版、そしてタイ語版も知っており、リフレインのサビを一緒に歌う。日本語の歌詞は「昴」との決別を宣言しているが、中国語では「昴」に見守ってもらっているという希望を繰り返す。そしてタイ語では「それでも心は願っているひよこ豆(昴)が戻ってくることを…親鳥が生き返るのを」と歌われる。彼ら華人のアイデンティティの多重性と、新たな「父」の誕生への期待が込められている。この歌の内容は、姉弟が数日後に迫った選挙の話題と繋げて解釈することもできるように思える。

タイ国王は、ラーマ10世(2016年~)。近年、王室改革、反政府の動きが激しくなっている。「タイの反政府・王室改革デモ、活動家9人を一斉逮捕」(2020年8月)など。https://www.bbc.com/japanese/53858613

Leslie Cheung(張國榮)1956~2003。イギリス留学後、帰国して受けた歌謡コンテストで準優勝したことをきっかけに歌手の道を進むがパッとせず、1984年、吉川晃司の“モニカ”のカバーで大ヒットし、一躍トップスターに。1993年の映画「さらば、わが愛/覇王別姫」で高い評価を受け香港を代表する国際スターとして認められるようになる。2003年、香港の高級ホテルから投身自殺。

Teresa Teng(鄧麗君)1953~1995。台湾出身の「アジアの歌姫」。14歳でプロ歌手、16歳で女優デビュー。日本では1974年「空港」がヒット、中華人民共和国でも大ヒットし、影響力を嫌がった中国共産党政府が、1983年に放送禁止処分とする。その後日本で「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」が大ヒット。1989年には中華人民共和国の民主化支援コンサートに参加。1995年、タイのホテルで気管支喘息による発作を起こし死去。

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Photo by Wichaya Artamat, Courtesy of Kyoto Experiment.

 このようにタイにおける社会情勢を踏まえると、この作品に描かれる日常に絡んだ様々な政治的問題が見えてくる。KYOTO EXPERIMENTの「批評プロジェクト2021 SPRING」に選出された劇評(https://kyoto-ex.jp/news/2021s-criticismproject/)ではより深く多様な解釈が行われており大変刺激を受ける。

 とはいえやはり、日本人に馴染みのないタイの社会情勢を孕むこの物語が、日本に住む私の物語でもあると感じられたことにこの作品の本質があるように思えてならない。彼らはなぜ父の供養を辞めることにしたのか。

 彼らは父のことを忘れたかったのではなく、互いに顔をあわせることに限界を感じ始めていたからなのだ。彼らの決別はタイの社会情勢が直接引き起こしたものではない。どのような政治状況でさえ、このような状況は起こりうる。

 姉弟はいずれも歌手であった父の影響か、ヨガ、演劇と、身体表現にまつわる職業に就いている。しかし、姉は財政悪化の影響でヨガ教室をたたむことになっても、飲食業へ転身する計画を楽しそうに語り、車を売る選択をしても困窮した様子は伺えず典型的なアッパーミドルの生活を続けている。彼女は働く女性ではあるが、非常に保守的な思想の持ち主で、弟にゲイをカミングアウトさせようとする強引さも併せ持つ。

 弟の方はというと、売れない俳優で、政府を批判する作品やデモにも参加するリベラリストである。ただ、姉の思想は時代遅れだなどと批判するようなそぶりは見せない。最終的に彼は演劇業界で食べていくためにアートマネジメントの学位をシンガポールで取得して教員になろうと計画する。表現の自由が保証されない社会で「偉い」芸術家になることを目指すのだ。信条を曲げずに社会情勢にも合致したこのような折衷案は姉に文句を言わせない得策でもある。姉弟は互いに民主政治を理想に掲げてはいるものの、それが叶ったとしても保守派主導の社会が続くことを確信している。相変わらず表現者にとって生きづらい未来が待っているのだ。

 父の供養が進むにつれ明らかになる姉弟の気まずい関係性、何気無い会話のなかの攻防。彼らが日常的に抱えている問題は近況報告をするごとに掘り返される。彼らは最後まで和解を試みるも、互いに傷つけ合わないために距離を保つことになる。こうした家族の関係性は直接的に語り合わない日本人の政治観に近いのではないだろうか。

 確かに現代の日本はタイのような軍事クーデターやデモとは無縁で、この作品の物語がそのまま日本の社会情勢に当てはまるわけではない。しかし、時に平和ボケと揶揄されることがあっても、ジェンダーや人種、貧困、いじめ、自殺などの身近な社会問題に関心がないわけではない。皆、日々の会話の中で思想の違いを意識し、直接批判せずとも、話をそらしたり、その場を取り繕ったり、時にはコミュニティーを変えたりする。家族という離れ難い関係であれば、なおさら個人の性格を理解しながらいかに共存するかを探る。タイの姉弟の葛藤が私のことのように思えるのは、そうした理由によるものである。

 家族の間で政治的なすれ違いをどのように解消すれば良いのだろうか、どのように思想の異なる人間と共存してゆけば良いのだろうか。彼らは父を供養する必要がなくなった時、本当に会わなくなってしまうのだろうか。決別が唯一の解決策なのか。

 朝日が差し込む中、チキンライスを頬張るふたりの姿はこれまでの葛藤が清められたような、穏やかな日常である。何も語らなければ平和であり続けられるのに、どうしてこう責めなければならなくなるのだろう。彼らの日常的な葛藤は私の日常へと引き継がれた。

(KYOTO EXPERIMENT 2021 SPRING「批評プロジェクト」参加作品を改訂)

柏木純子
1993年、兵庫県出身。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程在籍。兵庫県立宝塚北高校演劇科劇表現講師、日本大学歯学部兼任講師。歴史研究(専門:フランス演劇におけるジャポニスム)、演技指導、演出、衣装、コミュニケーション教育など舞台芸術分野において幅広く活動している。

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