公演評
わかぎゑふ流大阪近代史としての「人間喜劇」
玉造小劇店配給芝居vol.28『長い長い恋の物語』
□ 瀧尻浩士
ひとりに
神戸女学院大学音楽学部舞踊専攻『Blood and Steel』『The Last Place』、斉藤綾子『書くとか歩くとか』
□ 上念省三
異貌の他者と近代のまなざし
――世田谷パブリックシアター×東京グローブ座『エレファント・マン THE ELEPHANT MAN』
□ 藤城孝輔
楽曲の真髄に迫る――自由に貪欲に 未知なる高みへ
イスラエル・ガルバン『春の祭典』
□ 矢萩智子
タイの政治がワタクシゴトになる芝居
ウィチャヤ・アータマート『父の歌(5月の3日間)』
□ 柏木純子

装置など何もない簡素な小さな空間から、3世代に渡る長い歴史の時間が拡がっていく。『長い長い恋の物語』という劇のタイトルから、何か壮大な恋愛大河ドラマを思い浮かべるかもしれない。確かに時代と国籍を超えてつながる男女の想いが物語の縦軸としてあるのだが、観終わってみると、単なるラブストーリーにカテゴライズされるものではないことがわかる。
在日コリアンのパク・ソジンを中心に、彼の家族、彼に関わる人物たちの物語が横軸となり、その縦横に織り合わされる登場人物たちの日常生活の描写は、物語がなぞる長い時間の流れの中で、大阪庶民の近代史が抱えてきたひとつの姿を舞台上に生成するのである。
物語は、兄を頼って朝鮮半島から日本にやってきたパク・ソジンを中心に、戦前、戦中、戦後の長い激動の時間の流れの中で生きてきた在日コリアンと日本人の人生を描く。日本の大学に行くために来たソジンだが、兄に日本の社会を知るためにまず仕事をするようにと言われ、ある会社を紹介される。日本名、木村辰男という新しい名を与えられて。そこで彼は差別という厳しい現実を知ることになる。勤め先の土木会社では人を人と思わないような社長や社員から暴力的なひどい扱いを受ける。ある日、怪我をした彼は、社長の娘桜子から手当てを受ける。ふたりは次第に惹かれ合うが、社長がそれを許すはずがない。桜子はやがて嫁にやられ、ソジンは初めて会う同胞女性と結婚し、それぞれ別々の人生を歩む。やがて時は経ち、互いの子ども同士が友達であることから、偶然の再会を迎える。ソジンは昔、怪我の手当ての時にもらった桜子のハンカチを、今も大切に持ち続けていた。お互いに自分の心を隠しながら、またそれぞれの家庭にもどっていく二人。さらに時はたち、再び偶然はふたりをめぐりあわせる……。
「恋の物語」という題の響きとは違って、劇全体がもたらす質感は、決して優しくなめらかなものではなく、どこかザラザラとしていて、観る者の心のどこかにひっかかりを残す。その「ひっかかり」とは何だろう。
長い時間軸で芝居は進行していながら、舞台は常に「今」を感じさせる。冒頭の戦前の場面でも、観ていて過去の歴史の記憶を見せられているというより、その時代の「今」を共有している感覚を覚える。そして、その「今、現在」を感じさせる場面の連なりが、劇の中でやがて歴史となっていくのである。作者の評価の下に整理された過去の歴史をなぞるのではなく、良い意味で未整理のままの時代の日常を、我々観客は場面々々でリアルに目撃するのだ。
作者があるテーマへと誘導してくれれば、それを解釈することで観るものは、劇を理解できたという着地点を得る。ではこの劇は、成就されなかった愛の歴史を謳おうとしているのか。否、そんな陳腐なメロドラマではない。では不条理な差別の実態を糾弾する社会派の物語なのか。そんな説教じみた新劇もどきの劇でもない。作者わかぎゑふは、登場人物が生きている、答えのない日常を様々なエピソードとして切り出して、再現し、並べて提示する。主張やイデオロギーで歴史を再現しようとしないこの劇の各場面は、観客に同意や同情を求めてはいない。差別や暴力をある主張で定義し、登場人物の役割を固定化し、歴史的整理をした上で見せようとはしていない。その未整理さゆえに、過去のどの場面も「今」であり、答えをさぐっている現在進行形のリアルな時間として、心にひっかかりをもたらすのである。
玉造小劇店配給芝居vol.28「長い長い恋の物語」
2021年2月16日(火)~21日(日)
ウイングフィールド
脚本・演出:わかぎゑふ
出演:コング桑田、野田晋市、うえだひろし / 笑福亭銀瓶 / 植木歩生子 / 長橋遼也、松井千尋、趙清香、吉實祥汰 / わかぎゑふ ほか
