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2021年度日本演劇学会研究集会
「アイホール問題を考える」セッション記録

はじめに
Ⅰ.一巡目発言 畑 律江
        大津留 求
        小原延之
        永井聡子
Ⅱ.一巡目発言を聞いてのコメント
​Ⅲ.討 論

 本文は、2021年度日本演劇学会研究集会の一環としておこなわれた「アイホール問題を考える」セッション(2021年12月5日午前10時~12時)の記録である。研究集会開催校は大阪大学だが、コロナ禍のためオンラインでおこなわれた。セッションの趣旨などは、司会・コーディネーター瀬戸宏の冒頭発言などで述べられている。
 セッションはたいへん有意義な内容のものとなった。扱われている問題は一地域だけでなく全国的な参考価値を持つものであること、アイホール問題は現在も進行中の出来事であることから、できるだけ早く文字化し記録を公表すべきだと思われた。掲載時期と記録分量の関係で、国際演劇評論家協会(AICT)日本センター関西支部(瀬戸宏支部長)のネット機関評論誌『Act』(上念省三編集長)の場を借り、その特別号としてセッション記録全文を公表する。
 記録の文字化にあたっては、瀬戸宏、岡田蕗子(大阪大学招聘研究員、AICT関西支部会計)が録画からの文字起こし、整理を行ない、各パネラーの確認、修正を受けた。討論部分については、質問者に連絡が取れず確認を求めるのが困難な人が多かったので、氏名は削り“質問”と記した。公表にあたっては、2021年度日本演劇学会研究集会実行委員会(岡本淳子委員長)の同意を得た。(瀬戸宏)

はじめに

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瀬戸宏(司会、摂南大学名誉教授)
 皆様、おはようございます。アイホール、正式名称は伊丹演劇ホールは1988年に創立され、関西では数少ない演劇専門ホールとして知られてきました。私は1991年に摂南大学に就職して大阪に戻ってきたのですが、それから多い時は毎週のようにアイホールに通っておりました。そのアイホールが伊丹市の意向で演劇専門ホールとしては廃館になるかもしれない、というニュースが伝えられ、みんなたいへん驚きました。私も、演劇ファン、演劇研究者として何かできないか考え、この研究集会でアイホールについてのセッションを開催することを思い立ち、各パネラーの皆さんに快諾いただいて、本日に至ったわけです。
 セッションの進め方ですが、最初にアイホール問題を報道した毎日新聞記者の畑律江さんに、新聞記者の立場からこの間の経過などについて、発言していただきます。発言時間は一人15分です。次に、伊丹市会議員の大津留(おおつる)求さんです。大津留さんはブログなどで、早い時期からアイホール問題について発言してきました。私も劇場問題のセッションに何回か参加したことがありますが、市会議員の方がこのようなセッションに参加することは、たいへん珍しいと思います。大津留さんには、市会議員の立場から、伊丹市や市議会、さらに大津留さんが接している伊丹市民の動向について発言していただきます。三番目に演出家でアイホールの存続を望む会を立ち上げその代表を務めている小原延之さんに、演劇人の立場からアイホール問題についての発言をお願いします。最後に、静岡文化芸術大学の永井聡子さん、ご専門は劇場論やアートマネージメントですが、全国的な視点でアイホール問題が持つ意味について分析していただきます。
 それが終わりますと、二巡目として一人五分程度で、各パネラーに一巡目発言を聞いて感じたことなど発言していただきます。そのあと、会場からの質問も含めた討論です。最後に、各パネラーが一言締めくくりの発言をして、このセッションを終わっていきたいと思います。
 それでは、最初の発言者の畑律江さんから順によろしくお願いします。

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一巡目発言(1)
●畑律江(毎日新聞大阪本社学芸部)

 おはようございます。私は毎日新聞で働いております。担当は舞台芸術です。私がこういう場でお話しするのにふさわしいかどうかわかりませんが、あくまでもこの問題を取材した記者の立場から、その経緯をお話ししておきたいと思います。どのような人に話を聞いたかなど取材源についてはあまり詳しくお話できないことを、あらかじめお断りしておきたいと思います。
 アイホール問題については、知人から使用目的が変えられようとしている、その案が市議会に出されようとしている、ということを聞いたのが取材のきっかけです。阪神大震災の頃に舞台芸術の担当記者だった私は、この間担当をはずれたり戻ったりしながら仕事を続けてきましたが、今回取材しようと思ったのは、私自身にとってアイホールがとてもありがたい存在だった、ということが大きいです。2000年頃から、関西では小劇場があいついで閉鎖されていくということがあり、私は演劇の内容を取材するのと同時に、劇場と行政や社会との関係を取材することが非常に多かったのです。あ、今またこういう問題が出てきたのだな、という印象でした。私自身は、このホールで、関西全域の気鋭の劇作家や人気の出てきた劇団の舞台、全国各地からやってくる話題の作品を知ることができました。つまりは、在阪の記者やライターが頻繁に足を運ぶことで新しい知識を得ることができた、そういう劇場でした。私は仕事上、首都圏の劇団を取材する機会も多かったんですが、アイホールには演劇に非常に協力的で熱心なスタッフがいるので、関西で上演するならアイホールでやりたい、と言われることが度々でした。関西には多くの公共ホールがあるけれど、独自の企画で発信できる劇場、自分たちで作れる劇場は少なく貴重です。そのアイホールがどうなってしまうのかは、個人的にも関心事でありました。そんなわけで、取材にかかったわけです。それからアイホールには初期から劇作家の北村想さんを塾長に招いての想流私塾という戯曲塾があり、スタイルはその後さまざまに変わっていますが、現在まで続いています。そこからOMS戯曲賞など評価の高い戯曲賞を受ける劇作家がたくさん育っている。全国各地の地域でおこなわれる戯曲賞なども取っている、そういう点でも新聞記者や評論家の間では、あの戯曲塾は何を教えているのだろう、“演劇虎の穴”なのではないか、などと冗談まじりに話題にも上る、そういう劇場でもあったんですね。それで使用目的が変わるとか存続に関わる問題が出ている、ということを聞きまして、取材にかからねばと考えたわけです。
 地域の公共施設の使用目的が変わる、建て替えられる、といったことを行政側が発表すると、それはその市町村を管轄する地方部の守備範囲になり、そんなに大きな問題が起こらなければ、多くは地方版の記事として掲載されることになります。しかし、このアイホール自体は、普段は100~200程度の客席の劇場で、決して大規模な施設ではないのだけれど、これまでアイホールが果たしてきた大きな役割を考えると、学芸部や文化部の記者の視点が欠かせないのではないか、ということで、地方部とも相談しまして、今回は学芸部からの報道ということになりました。当初の段階ではまだメデイアに向けたはっきりした発表はなかったのですが、ホールを使用していた人々が不安を抱き始めているということなので、皆が議論をする時間を持つためにも早く報道しなければ、と思いました。
 最初は市の担当部門に取材することから始めました。そこでサウンディングということばを初めて聞いたんです。それは何ですか、と聞いたら、民間事業者と行政が事業について意見交換して、民間業者にさまざまな意見を出して貰うという、調査の意味を持つ言葉だったんです。ネット上などでもさまざまな説明がされていますが、あくまで調査なんだけれども、民間事業者が事業展開しやすいようにさまざまなアイデアや意見を出して貰い、「地ならし」をしておく意味合いがある、とも書かれていました。
 取材したときには改修時期を迎えているアイホールについて、国土交通省のサウンディング調査がすでに2回行われていました、そこではまだ絶対にこれだ、という提案は行われていなかったようです。特に初期の段階では、演劇の事業に民間業者が参画するのは非常に難しいという意見がでていたということです。その後、国土交通省ではなく伊丹市自体がサウンディングをすることになったので、夏以降は民間業者との意見交換会を行いたいとのことでした。決まったわけではないが、オリンピックの競技として注目されているボルダリングの施設にするのはどうかという案もだされているという話でした。私などはアイホールは文化芸術関連施設だと思っていたので、この言葉がでてきたとき、本当にびっくりしました。アイホールは三階まで吹き抜けになっていて天井が高く、これがアーティストに「ここでやりたい」と思わせる魅力につながっていると思うのですが、周辺施設との関連などさまざまな事情でアイホールだけを簡単に建て替えるわけにはいかない、現状の高さを生かすにはボルダリングがちょうどいい、ということだったらしいです。そのほかにも、いくつかの事業主の方が案出して来られました。アイホールの一年間の運営コストが高いとか、市民の利用率が15%に過ぎないとか、伊丹にあるいたみホールという1200席の大ホールやアイソニックホールという500席の音楽ホールは、利用者の一人当たりのコストが700円弱なのに比べ、アイホールは2255円と高額である、ということが、今回サウンディングをすることの根拠としてあげられておりました。これは市の方の主張です。
 当然、演劇人の方にも取材に行きました。市の動きを知り、演劇関係者が「アイホールの存続を願う会」を作ろうとしていることを知りました、それが7月10日発足ということでしたので、それを待って記事化することを考えました。演劇人の方々からは、アイホールがこれまで積み重ねてきた実績や演劇界での高い評価も伺いましたし、演劇が教育に果たす役割や、地域に対する貢献度も高まっている時代なのに、こういうことでいいのか、という話もたくさん伺いました。ただ、市が出してきているのは数字なんですね。数字というのはいったん外に出てしまうと非常に説得力を持ってきてしまう。ところが演劇人の言われる演劇の社会的意義、文化的意義、人間づくりに対する意義というのは文章化や数値化が非常に難しいんですね。それを同じ記事で両論併記するといっても、どうしても不均衡になってしまう、そういう悩みはありました。
 たとえば市民の利用率が15%ということは、85%は他府県の方が伊丹に来て舞台を見てくださっているということでもあるでしょうし、大ホール、中ホール、小ホールという規模の違うホールを一律に並べて一人あたりのコストを計算するというのはどうなんだろうか、という疑問もありました。あったんだけれども、ともかくも両方の意見を並べて、議論の素材にしていただこうと考えて、発信することにいたしました。
 新聞社では当時オリンピックが始まる時期で、たいへん紙面取りが厳しかったんですが、最近は新聞はネット上の紙面も持っておりまして、これが意外に効果を発揮することがあります。7月21日午前9時にデジタル毎日で配信しました。紙の紙面ですと配付地域が限られるのですが、デジタルですと全国に同時に配信される、それが功を奏した面もあるのかな、と思っております。全国的な演劇団体や著名な俳優さんも読んでいてくださっていて、どうなっているの、と電話を掛けてきてくださった方もいます。新聞紙面では少し遅れて7月24日夕刊に掲載しました。ただこの場合はネットのような長い文章は載せられないので一部省略はしました。これらの記事が出てからの存続の会の動きは、早く、とても熱心だったと思います。
 毎日の記事が出た後、他の新聞社の方や放送局の方が関心を持ってくださって、夕刊の文化面やデジタルの紙面、ニュース番組などで、様々な形で報道されました。私どもの記事が何かの契機になったのなら、報道した意義があったと思います。ただ心配なのは、メディアがこういう演劇人の動きを紹介すると、このコロナ禍の時期に劇場の存続に拘るのはわがままだという意見も出てきたということです。この点も付け加えておかなければなりません。

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●大津留求(伊丹市議会議員)

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 皆さん、おはようございます。伊丹市会議員の大津留と申します。よろしくお願いいたします。いま伊丹市議会議員として7年目、兵庫県伊丹で生まれ育ったのではなく、20年ほど前に伊丹市にやって来ました。ですから、よくある高校時代の友達がアイホールに立ったとか、そういう経験は一切ありません。私自身が特に演劇に縁があるわけでもなく、アイホールのこともほとんど知らなかった、そんな中で今回のことが起きました。今回のアイホール活用問題に対する動きは、さきほど畑さんからありましたように、演劇関係者の方が存続を求めて立ちあがったことを受けて、地元の人がその重大さを知るという、ある意味特異な現象かな、と思っております。もともとアイホールに特別な思い入れはなかった、逆にそういう立場からみて実際にどんなことが起こっているのか、一度壊してしまうと、こういう施設は決してもとにもどらない、そうであれば可能な限り客観的事実を積み重ねて議論をしていくことが大事ではないか、こういう趣旨からさまざまな演劇関係者や市民の方にお話を伺ってきました。それをもとに議会で質問し、その情報をみなさんと共有するために可能な限りブログに書いてきた、そのような経緯になります。
 市の事情から言いますと、建物が建てられたときの経済状況、社会状況と、現在の経済状況、社会状況がまったく違う、それが大きいと思っています。特に伊丹市の場合は、1980年代後半から90年代にかけて、数多くの公共施設、文化施設を建築しました。空港騒音ではなく、文化都市としてイメージづけようという施策でした。ただ、残念ながら建てる時には国の補助がかなり出るのですが、その後の大規模改修には自分のところでしてね、という話になります。
  そこで伊丹市はどうするかと言いますと、公共施設の二つを一つにすると国から有利なお金が出ますよ、そういう補助金を最大限活用して、公共施設の統廃合を進めながら施設の更新をしてきた、という流れがあります。最近の例ですと、公立保育園、幼稚園の統廃合をして大規模こども園を作るとか、公民館を別の施設の中に入れてしまうとか、博物館は美術館などと統合、病院も、市民病院だけを建て直すのはたいへんなので、別の病院と統廃合する、そのように動いています。そんな中で、いまアイホール問題が出てきました。
 議会ではどういう取り上げ方がされてきたのか、ということで、ちょっと数年だけ遡って調べてみますと、けっこういろいろ出てきます。たとえば老朽化してくると他の文化施設との統廃合は必要なのではないかという質問が出たり、3年前には市長が、「国として残さねばならない文化であるならば国が責任を負うべきであって伊丹市民がどこまでやるべきかも当然考えるべきだ。私が最初に施設担当者へ言ったのは、市民から評価されない施設はつぶせということになる、ということです、それぞれの施設ごとに市民にアピールしていかないと生き残れないんだぞ、市民の何人が観て、あるいは市外から何人が来て伊丹市の活性化に役立ったのか、ということにならなければ、伊丹市民の税金を投入した意味は無いじゃないか、という話をしている」、という答弁をしています。また5年前には、「伊丹はすごく文化レベルが高いという全国的評価があるとか、伊丹に行けば素晴らしい演劇がみられるという評判があると聞いているが、市民の税金から運営費を出しているんだ、収益を考えてやってもらわないといくらお金があっても足りないよ」、という発言がある、という経緯も、背景としてご理解いただければ、と思います。
 今回の発端は、6月議会でアイホールはサウンディングしています、市場調査していますよ、という報告です。その時、どんな質問が出たのかといいますと、サウンディングの詳細やスケジュール、建設された経緯の確認、高校生や中学生の演劇祭(アイフェス)がどうなる、常々指定管理料が高すぎると思っていたから良い提案をしてくれた、みたいな雰囲気で委員会が終わりました。
 市民は、基本的にはアイホールのことは知らない、建物があるのは何となく知っているけれども、何しているかも知らないし、市の施設かどうかもわからない、というのが正直なところです。この後お話になります小原さんとかが「存続を望む会」を立ち上げて活動していただいたおかげで、皆さんがそのことを知った、というとても皮肉な状況でもあります。
  8月に小原さんを講師にして地元の方を対象に勉強会をしました。私も参加させていただいたんですが、小原さんがアイホールとはこんな施設で、こんな活動をしていて、関西演劇界にとって素晴らしいものなんだ、ワークショップとかアウトリーチ事業とかをしているんですよ、と言うのを聞いて、そうだったんだ、という不思議な時間でした。一方で、地域の人から「集まりにアイホールを貸してくれ」と言っても、「ここは演劇ホールだからだめです」と言われたとか、アイホールや演劇関係者との交流なんてなかったとか、基本的に金土日公演だと思うんですが、いつも閉まっているイメージがある、何をしているんだろうとか、、隣のマンションに住んでいる人でさえ接点がない、ということも現実としてあります。
 このあいだ、議会報告会をしまして、25名の方々にお越し頂きました。アイホールの問題について話しました。もちろん演劇を観ている方からみたら、何で赤字ではダメなのかとか、アイホールがあるから伊丹に引っ越してきた、という方もおられました。教員OBの方から教育の観点からとても大事なんだ、という意見もありました。利用率が低いとなぜダメなんだ、という話もありました。
  一方で、たとえば年金生活者の方からは、税金の無駄遣いであるとか、バブルの産物で利用料さえとらないのはおかしな話じゃないのか、若い方は、演劇は高いから別にいらないよ、3年間また税金を垂れ流すのか、というような厳しいご意見もありました。
 ただ、その中でとても面白い発言がありまして、伊丹市民の15%しか利用していない施設に市民の税金をつぎ込むのはおかしいという理屈なんですが、伊丹市民かどうかで区切っているからこんな話になるんじゃないか、それはほかの市の施設に伊丹市民はいかないということか、日本の施設と考えれば、というもので、目からうろこが落ちた思いがしました。根本的にはそこにいきつくのかな、と思います。
 アイホールで演劇を観たことがある人は?と聞いたら手が挙がったのは25名中、4名でした。この問題は、舞台を観たことがあるのかないのか、家族も含めて演劇との関わりがあったのか無かったのか、アイホールの情報、全国的に評価されているかとか、そういう情報が多いか少ないか、によって、こんなに受け止め方が変わってくるのが、この問題の難しさと実感しました。
  以前から、私は文化とお金の関係はあまり言ってはいけない、と思っていたことがあります。そんなところにお金を使うのかと言ったら、文化のことをわかっていない人だと思われるかも・・みたいな。でも、今は「自治体経営」と言われている時代。自治体も経営難です。今回のアイホール問題を行政の視点から考えた場合、文化芸術施設でさえ特別な存在ではない、という現実を突きつけられたのかな、と思います。市民との交流、親しみが持てる施設でないと、どんなに文化的価値が高い施設でも今後生き残っていけない、そういう時代になっているのかな、と。地元の人たちから「わたしたちのホールを何してくれるねん」という声があがるのが本来の姿なんですが、それが残念ながら今回はあがらなかった。
 『今後3年間は現状の運用を継続』という報道が出ました。皆さんから、よかったね、と言われるんですが、現実的に今後3年間どういうことが行われるのかと言いますと、経営改善を迫られているということ。場所は提供するけれどもこれまでと同じ事業展開はしない、受益者負担の適正化、劇団さんにちゃんとお金を払ってもらいます、国の補助金申請をすればするほど赤字になるので、来年度の補助金申請はしません。自主事業は実施しないなど事業を整備することで、人件費も一定見直しを図り、全体的な経営改善をする。これが市のスタンスです。今後のスケジュールはどうか、と聞いたら、来年度の演劇事業がどのような展開になるか見定めながら考えていくと言う、かなり厳しい状況にあるということを皆さんにお伝えしまして、私からの報告を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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2021年10月、ボヴェ太郎「CONATUS」上演時の舞台

●小原延之(演出家、アイホールの存続を望む会代表)

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 劇作家演出家の小原延之と申します。簡単に自己紹介をしますと、フリーランスで劇作家と演出家をしています。また、大阪現代舞台芸術協会DIVEの理事長もしております。個人的にアイホールでは作品を何度か上演していまして、今年の一月にもアイホールの自主企画で過去の作品を上演しました。またアイホールのアウトリーチ事業のワークショップ講師として伊丹市の小中高へのワークショップも実践してきました。コロナ禍でなければ、通年アウトリーチ事業として、小中4校、高校1校で、アウトリーチ事業を行っています。私は、こういうアイホールの事業とつながりが比較的多いこと、そして大阪現代舞台芸術協会の理事長を務めているという立場から、今回の「アイホールの存続を望む会」の代表という立場になりました。
 まず演劇人からアイホールをどう考えているのかと申しますと、ハード面として劇場として非常に魅力的な場所であります。四角いブラックボックスの空間に三階吹き抜けの高さがあり、自由な創作ができます。また可動式の床があり、舞台設営にはとても便利な空間でした。東京などの遠方の劇団がやってきて、仕込み時間等を非常に短く済ませられることが、舞台機構で可能だったと思います。
 劇場のソフト面ですが、畑さんが言われたように、劇作家の養成機関という面があります。最初北村想さんが塾長として就任された劇塾があり、形を変えて通年継続しています。この養成機関の出身者が、関西でもトップクラスの劇作家として活躍しています。また、俳優の養成機関は、最近は予算面で色々控えめになりましたが、アイホールファクトリーなどがあり、そちらを卒業したあと現在関西で活動している俳優が多数います。
 中学校高校を対象にしたアイホールフェスティバルという演劇フェスティバルを行っており、その演劇フェスティバルは、プロのスタッフがみっちり上演まで携わって、潤沢な期間と労力を使って上演させ、かつ専門家の講評が得られるというフェスティバルを行っています。夏休みに、演劇ワークショップも行っています。これは小中高対象です。
 このようにソフト面でも非常に充実しており、関西の演劇人においても、現在活躍しているトップランナーの劇作家演出家また俳優たちが、アイホールの養成機関を経て活躍している。これがなくなったら、10年後20年後の関西の演劇界にとって非常に痛手ではないかと予想されており、私たちはアイホールの演劇機能と劇場の存続を望んでいます。
 「望む会」についての、発足から現状の流れを、ご説明いたします。畑さんからお話いただいた部分と重複があると思いますが、今年6月末に、私たちは伊丹市のウェブページで「アイホールを活用した事業提案に関するサウンディング型市場調査の募集」がされているのを見つけまして、7月10日に「アイホールの存続を望む会」を立ち上げました。以降「望む会」と発言させていただきます。伊丹市の資料を見る限りは、クライミング施設、ボルダリング施設という提案がなされているのでは、と察せられました。このまま行政の流れにまかせると、来年度をもってアイホールは閉館、用途変更になるのではないかということが、そのウェブページから読み取れました。かつ、アイホールの施設そのものは、隣接するマンションの共有部分があり維持されます。つまり、アイホールの建物自体は維持・改修されますが、コスト面は伊丹市が持ち、建物は賃貸して企業に使ってもらうという流れになるのではないか、ということが読み取れました。
 それで、私たちはまず大阪現代舞台芸術協会DIVEという協会があり、大阪市内であいつぐ劇場の廃止があった時、DIVEも劇場の環境問題に取り組んできた役割がありますので、「望む会」はDIVEの理事が行うことでスタートしたと思います。7月20日からウェブサイトと書面で署名活動を開始しました。また、この問題を周知するためにチラシ制作をし、配布開始をしました。呼びかけ人として多数の演劇人にご賛同いただきました。平田オリザさんや、文化政策学研究の藤野一夫さん、女優で噺家の三林京子さん、団体としては、日本劇作家協会や日本演出者協会、日本劇団協議会といった団体にも協力いただきまして、まずは全国的にこの問題を発信しました。
 活動していく中で、賛同人に伊丹市内の演劇部出身者が非常に多くいることがわかりました。アイホールのアイフェスやアウトリーチ事業あるいはワークショップを通じて、非常に潤沢な経験をしたOBOGたちがいたということです。この方たちは独立する形で、伊丹市演劇部OBOG会となりました。この方たちとも連携して活動を進めています。
 そしてまた私たちが、市内でアイホールの存続活動をするにあたって、さきほど大津留議員が言われましたが、8月6日にアイホールの建っている地区の住民説明会を行いました。そこでまた興味を持っていただいた市民の方たちと私たちは協調することになりました。ここで、演劇人だけでなく伊丹市の問題としても一緒に考えていこうという流れが生まれ始めたと思います。「望む会」の市民向けチラシに関して、この市民の人たちから、文書だけではわかりにくいという提案があり、かわいいアイホールのマスコットキャラクターのアイちゃんを用いたチラシと、演劇著名人の顔をのせたチラシを、この時急遽住民からの要望で作成したという記憶がございます。
 私たちは行政との極端な対立は避けようと思いまして、8月7日に呼びかけ人の1人である藤野一夫先生によるウェブ上での勉強会を開催しました。また同月8月23日に、私たちの記者会見と同時に、平田オリザさんをお呼びして勉強会を開催しました。ここで大きく情報を発信していただいたように記憶しております。
 それで8月30日に、伊丹市に約8000人の署名を提出いたしまして、市長に存続を訴えました。この時に、市長からは、非常に演劇には理解があるとの見解と、市民と市民の代表者の意見を尊重したいという発言がありました。代表者は伊丹市議の皆さんを指しまして、市民の声を聞くというのは、市民への無作為アンケートの実施ということでした。
 この流れで9月中旬には、劇作家協会の理事長である渡辺えりさんが市長と面談しました。この時に、伊丹市長から演劇人からの提案をいただければ、という話がありました。おおよそこの9月中旬の渡辺えりさんの伊丹市長訪問以降は、市民と「望む会」のメンバーがミーティングを重ねて、伊丹市の行政担当と水面下で交渉を進める段になったと思います。そして10月19日に、私と市民の代表者三名と行政担当者二人と面談の機会を持ちました。この時には、私たちは市民グループや演劇人と何度かミーティングを開いて、アイホール維持費削減、改修費用をもう少し抑えられるのではないかということと、伊丹市民と演劇人との組織づくり、クラウドファンディング等の費用を捻出する方法や運営方針を検討する市民との運営委員会との立ち上げなどを、伊丹市の行政担当者に提案しましたが、その場で担当者からは、来年度からはアイホールに自主事業はさせない、貸館として空いている日数を演劇人に埋めていってほしい、という要求を受けました。
 この10月19日時点で、私個人はアイホールの来年度の事業を受けており、制作段階に入っていたので、個人的に頭がまっ白になった記憶がありました。この時に、担当者はアイホールにこのことは告げているのかと質問しましたが、この時点でアイホールにはまだ言っておらず、伊丹文化スポーツ財団までは話は行っている、とのことでした。しかし後で聞いたところでは、財団も知らず、理事長は直接聞いていないという見解でした。行政では、この自主事業をさせないことはもう決めていた、ということかと思います。
 この話は物別れになりましたが、改めて伊丹市からの提案への意見提出が要求されていました。私たちは再び、伊丹市民との組織作り、いわゆる委員会の立ち上げプランと、来年度のアイホールの事業は行いたいという希望を、行政側に提出したと思います。ここでアイホールが進めております事業プログラムの策定を、演劇人側や市民がするというのは少しおかしいと思ったからです。そののち伊丹市は、無作為抽出のアンケート分析の分析を経まして、11月19日の市民説明会となりました。
 この説明会は市内在住でないと参加不可能で、事前予約が必要、質問はその場で、スマホからメールでというような説明会でした。ちなみに私はアイホール事業の委任状を持参して、出席いたしました。結果としては大津留さんのお話と重複するところがありますが、アイホールは今後三年間の維持、しかし随時検討中という状態になっています。ポジティブな報道も出ましたので、周りから、私たちの存続活動が実を結びましたねという祝福の声があがりましたが、市はアイホールの事業費は出さない、いわゆる提携事業、自主公演、自主事業ということは一切させず、貸館として活動しなければ用途変更を迫られる、というのが現状です。
 ただし、市民に必要とされる事業、中学高校生を対象とした演劇フェスティバルや、夏休みのワークショップの事業は、出所はわかりませんが、例えば、市の共済事業として捻出されるということは聞いています。また、市民のための事業であれば、市の共催として、市に申請してください、ということを言われています。
 事業費が貰えない件ですが、毎年アイホールは、例年700~800万円の事業費が下り、それを元手に同額の助成金を文化庁に申請して、約1400万円前後の規模の事業を打てていました。しかし来年度はアイホールの運営費がないので、アイホール提携公演の団体はすでに決まっていましたが、助成金なしで自力で公演を打つと大体70万増の負担になるので予算面的に無理だと、上演を取りやめた団体が三団体あると聞いています。また、それでも上演するという団体もある、というところが現状です。自主事業の子供向け作品、『かむじゅうの冒険』などは上演不可能じゃないかと聞いています。アイホールの劇作家養成機関「想流劇塾」の運営費がいまだ検討がされていません。来年度は非常に厳しいのではないかと言われています。予算の決定が2月になるんじゃないか、予算組みができない、プログラムを組めない、という状況に、今アイホールは置かれています。
 これが現状ですが、私たち、「望む会」としましては、この市民説明会を受けてひと段落つけようとしています。7月20日から署名を中心とした活動を行っていましたが、今月20日に記者会見を持ちまして、終了しようかと思っています。形を変えようかと思っている、ということです。現状としては、市民の方たち、商店街の方たちと協働して、なんとかアイホールの活用方法を検討しようという委員会を立ち上げ、空いている劇場をどうにか埋めることと、どういった形の市民劇、市民劇団という形が組めるのか、アイホールで色んなシンポジウムをどうやって打っていこうか、ということと、地域に根差した活動、先月19日にアイホールの周りを市民の方とお掃除したり、というようなところからスタートして、アリオという隣接するマンションの自治会長の方が主催する餅つき大会に演劇人が参加する、などを検討しています。地域に根差した劇場づくりを、地道なところから、予算がかからなくて、演劇人の良心で参加してくれる人たちと共に、地域の方たちと劇場を考える会に、「望む会」を変容させていこうかと思っております。
 なお、署名活動は12月5日をもって終了させていただきます。全体の署名として、9901筆集まりました。これは伊丹市内の方が2588筆、市外が7313筆です。以上を持ちまして、「望む会」の流れと、私からの話を終わらせていただきたいと思います。

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2021年1月 現代演劇レトロスペクティヴ 小原延之+T-works共同プロデュース『丈夫な教室ー彼女はいかにしてハサミ男からランドセルを奪い返すことができるかー』

●永井聡子(静岡文化芸術大学)

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 よろしくお願いいたします。私は、静岡文化芸術大学に2008年に着任してからは、大学の教壇に立ちながら演劇や劇場の研究をして来ましたが、それ以前は2000年より愛知県にある知立市文化会館のプロデューサーとして10年ほどおりました。その中で市民の方たちと一緒に、立上げ、立ち上がる前の段階、立ち上がってからの各時期と、活動してきました。皆さんの書かれている、これまでしんどい思いをされて来た、市民の方々との関係性、劇場のもつ専門性などの狭間で揺れ動いて自分が育ってきた、というのは確かです。
 地域の方がたからこのアイホールを存続してほしいという声が2500人上あがるということが非常に大切で、お話を聞いていて2500人もいるなあ!という感じを、私は抱いております。市民がいかに劇場のファンになってくれるか、市民の力によって劇場がどうやって運営していけるか、劇場がその街の拠点になるか、劇場が果たすべき役割や機能がどのようになっているのか、市や運営する側がまず最初に方針を決めてやっていくことが大前提になるのかな、というふうに考えます。
 私が劇場の指定管理の委員会、審査委員会、基本計画の委員会、基本設計の委員会などに出ておりますと、数字やお金のことでいろんなものがカットされたり、文化芸術はいらないのだという発言もあったりします。でも、今いる若い人たちや子どもたちに、文化芸術を知らせないまま一生終わらせていいのか、というところも実はあります。
 私も先日アイホールに行き、今のこの状況はどうなっているのかを観てきました。駅から近いですし、広場で親子が遊んでいたり、あるいは劇場の中で、使用する人たちが、昔は繁栄していたのにね、というような声も聞きました。そういった思い出の蓄積があるなら、このタイミングできちんと市と使う側のアイホールがディスカッションして、今やめようとしている自主事業や、貸館事業にしても充実した連携事業ができる方向性を考えていただけるといいなと、皆さんの話をおききして考えました。
 用途変更については、静岡市のグランシップなど、少しずついろんな劇場が、演劇やダンスや、様々な企画のコラボをして舞台芸術の幅を広げて、いろんな方たちの利用を広げています。演劇はもちろん、それにプラスして、市民の利用率をあげていく、という工夫は大前提で、それなくして劇場の運営はまずないのでは、と考えております。伊丹市に市民会館や音楽ホールがあるということで、地域の中の大きな市民会館と音楽ホールとアイホールの役割分担をもう一度精査して考えた方がいいのでは、と思っております。演劇ホールは60年代から80年代と、ブラックボックスでやるからこそ演出効果が高い作品が出てきたのは確かであり、ハードウエアとソフトウエアの両方をセットで考察していくことが、劇場運営特に公立の文化施設では重要ではないかと考えております。
 もちろん、10年20年たってくると、改修の時期にもあたりますので、用途をさらに広げていく、市民が関わりやすいプログラムを作っていくということの考察は、各地で行われています。オープンしたころにオペラの作品を主目的に開場した劇場も、今は芸術監督をプロデューサーに変えて音楽を主目的にしたり、演劇の中でも音楽が関わるような音楽劇をプログラムに入れたりとか、そういった形でプログラムの充実をはかっているというのが、現状であります。おそらく伊丹にある音楽ホールは、演劇ホールの代替えはまずできないのではないかと思っています。作りがまず違いますし、そこに客席を作るとなると、大規模な工事が必要になるでしょう。演劇ホールとして作られたアイホールが、機能の改善とその経費の削減も含めて、演劇やジャンルの用途にあうような改修方法を模索してやっていくのが本来なのではないかと考えております。
 基本的には、施設が、まずはどのような方向にいくのかを精査するのが大事なのですが、誤解があるところを少しお伝えしておいた方がいいのかなと思います。専用ホールは、なにもその専門家しか使えない、市民が使いにくいというわけではなく、専用ホールこそ使いやすいホールではないかと考えています。演劇人の中でも、60年代~80年代にかけて、多目的ホールは無目的だとされて、専用ホールが必要だとして改善されてきた、という経緯があります。地域の使い勝手によっては、演劇だけでは運営ができないということがあり、演劇やダンスなどができるブラックボックスを使用したホールの建設も行ってきた経緯があります。それは、音楽主目的ホール、あるいは演劇主目的ホール、あるいは舞踊のホール、といった形で、何を主目的にするか、といった小ホールの建設というのも90年代以降に出来て来たということは、私たちは忘れてはいけないと考えております。90年代には、彩の国さいたま芸術劇場や愛知県立芸術劇場、新国立劇場、世田谷パブリックシアターなどの都心にある劇場が建設されたわけですが、大ホールのみならず300席程度の小ホールも併設されています。地域に大きな劇場ができたのは確かですが、その劇場の運営がうまくいって、あるいは市民が愛着をもってファンになってくれているという核になったのは、小ホール、300、200席、あるいは100席として使えるホールが地域に根付いてきたという経緯があります。だからこそ劇場が長らく運営されている、全国の中でも都心のみならず、地域でも、今に至っても劇場運営が継続されているというところがあります。
 劇場においては、舞台機構、舞台設備の中の吊りもの機構だとか床機構だとかのハードウエアと、人材のソフトウエアをセットで考察するのが、地域における公立文化施設の役割ではないかと考えます。これは、国立、県立、市立に関わらず、舞台空間の専門性というのが確実にあるということです。それによって作品の発信力、あるいは舞台空間の触発によって演劇人が集まります。これは、皆さんのお話からも感じ取れるというところです。その舞台空間があって、いろんな人たちが集まって、良い作品が発信されて、それを観るお客さんが集まってくる。そういった賑わいが創出されることこそが、劇場の持つ大事なところではないかと思います。
 公立の文化施設の難しいところとは、専門性がないといけない部分がありながらも市民と一緒に生きていかねばならない、ということではないかと思います。市民の方たちと一緒になって活動していくためには、専門性を使うことのできる人材がいて、市民と連携してその市民のための活動環境を作る、サポートをするというようなことが、公立の文化施設の中で行われなければならない。それがないと、地域の劇場の存在意義はないのではないかと考えます。特に2000年前後から、いわゆる劇場の機能の充実に加えて、文化ボランティアやサポーターを備える劇場が増えてきました。もう20年たっていますけれど、市民が市民劇に参加する、あるいはボランティアがサポートをする、サポートしていける環境を作るというのは、全国的に当たり前のようになってきています。しかしその中で、市民がどのように関わるかは、引き続き開拓をする必要があります。それによって劇場の存在価値が変わるのではないかと考えています。
 まず市民がどう関わるかという仕組みを明確化する必要があります。例えばいま、自主事業をやらないという話でしたが、本来は劇場を活性化する、街を活性化する、あるいはそこから専門人材を発信していく、市民を育成していくのを含めて、自主企画事業が、本来は核になります。貸館だけでは決して劇場運営はできません。自主企画事業と貸館事業のバランスをどう取るかに、劇場運営のミソがあります。そのバランスは、都心ですと自主企画事業の方が多く、地域ですと貸館のバランスが多いというのもありますが、大規模で有名な作品を発信するところでも7割近くは貸館事業です。でも、あとの3割の部分の自主企画事業をどのようにやっていくかによって、その街の色や外からの注目、市民の人たちの愛着が芽生えてくるのは確かです。
 やはり一つのお店ができたら、そのお店の売りになるようなプログラムやメニューがあってこそ、いろんな方がたが使いに来るのではないかと思います。あそこに行けば自分たちの日常的な活動も豊かになる。そうやって市民の方たちがいろんな形で関われるメニューを用意することが、劇場の機能を最大限生かすには重要なのではないかなと思います。
 文化芸術というのは何も難しいものでもなく、専門性がないとわからないものでもありません。市民の方たちが愛着をもってそこに関わって初めて文化ができるし、そこに発信される演劇作品やダンス作品があることで、これが芸術だという認識になっていくと思います。いろんな価値観を共有するというのは、演劇の持つ醍醐味であります。今、多様性という言い方をしていますが、いろんな生き方があっていい、いろんな身体表現があっていい、いろんな自分の生涯があっていい、みんな大事な人間だ、という価値観の共有は、演劇がなければできないことでした。そういった演劇あるいはダンスを中心とした芸術づくり、文化づくりがなければ、地域づくりと言うのは、まずできないし、街の活性化にもつながりません。
 伊丹の施設の周りには、いろんなお店がありました。新しいニーズがあるような飲食店もありましたしカフェもありました。そういったところと連携していけば、あそこはもっと活躍する場所になると思います。もしかしたら、外とつながる空間を可動式にするとか、少しロビー周りとか、お客さんや市民の方たちと接触するような接点を空間的に解決することもできるのかなとも感じました。各地で改修をうまくしているところでは、これまで築いてきた歴史や歴史的建物の文化的価値を保ちながら、新たに価値を付加して価値を創出する取り組みをしております。そこの部分が欠けてしまうと非常にもったいない。これが、正直な感想です。市民に舞台芸術を提供するというのは、これまでやってきた蓄積はもちろんのこと、市民が日常の延長線上でアイホールを大事にするような仕組みというものができたら一番いい。他の文化会館や音楽ホールなどがあるということで、そことの連携が非常に大事になってくるので、地域のなかにある施設のそれぞれの位置づけを明確にする必要があるのではないか、街のランドマークとして劇場が機能することを考える必要があるのかなと考えます。

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1998年11月、アイホール10周年記念企画「北村想の宇宙」桃園会第15回公演『屋上の人』チラシと当日パンフレット

Ⅱ、2巡目発言、一巡目発言を聞いてのコメント

commentary

瀬戸(以下、姓のみ)
 それでは、二巡目の発言を順にお願いいたします。


 いろいろ参考になる話が聞けましたが、アイホールの特殊性は演劇専門の小規模な公共ホールだということです。たいていの公共ホールは音楽や美術などとの兼用です。大阪に府立、市立の演劇拠点がないので、自然にアイホールが関西一円の演劇文化の拠点になったということが、この20年余りの動きをみているとわかります。そうなると、なぜ関西一円の人が使っているホールを、人口20万人の伊丹が支えないといけないか、と言う話になってきます。これが伊丹アイホールの問題の難しいところだと思います。
 私が難しいと思うのは、演劇をよく知っている人の考え方と、自治体の担当者の意識の差がたいへん大きいことです。演劇は市民の趣味活動であって、趣味の活動に場所を提供することが行政の仕事だとかたく信じていらっしゃる方が多いのです。そこに留まるかぎり一緒に考えるのは難しく、共通認識をどう高めていったらいいのか、といつも考えています。
 また、国が劇場や音楽堂に助成金を出していて、それがかなり大きな役割を果たしていることは知っているのですが、もともとそういう施設の少ないところ、財政的な理由などで劇場や音楽堂がないところ、演劇などに投下される資金が十分に得られない地域に住んでいらっしゃる方と、それが割合潤沢に得られるところに住んでいらっしゃる方との間で、これはもう国レベルの話になりますが、文化的な差がうまれるのではないか、と言う気がしています。これは地域ごとの文化の多様性を失うことにもつながりかねないと思います。国の文化芸術活動や文化施設に対する援助の在り方も、少し手直ししていく必要があるのでは、と思ったりします。

大津留
 私も同じような話になるんですが、平田オリザさんを招いて兵庫県豊岡市が演劇の街を作ろうとしたら、この間の市長選挙で落ちてしまった。そういう問題もあります。市民は目先のこと、わかりやすいことにお金を使ってほしい、という要望があります。さきほど永井先生が言われたようなイメージで地域と連携しないと、公共の文化施設はまだまだ難しいのかな、と思います。市と市民と演劇人の間の共通認識がないと感じております。
 
小原
 今回参考になるお話をたくさん聞けて、勉強になっております。活動しておりまして私個人が一番大きいと思っておりますのは、専門性と地域性の問題であって、一番最初にアイホールが建てられた目的が、劇場都市宣言ていうものを伊丹市が発信して、劇場を建てて、潤沢な予算内でたったときに、住民とのディスカッションがなかったのか、というところや、反対運動がおこらなかった、いうことにあぐらをかいていたところがありまして、全国的にも関西の小劇場のメッカとはなっておりますが、まだ劇場に入ったこともないという方が隣接するマンションにいらっしゃるというようなことが現実問題あって、もちろん劇場内としては全国にはつながっているのですけれども、隣のマンションとは繋がっていなかった、というのが本当に大きいなと思っております。まずそこからの構築からだと思っておりまして、文化ボランティアやサポーターという概念がなかったというところを補うところから構築していかねばならないということを肝に銘じております。なんとか市民に必要とされる劇場というところをてがかりにしつつ、何らかの助成金はないのかというようなことを祈る気持ちでこの三年間待つしかないのかなと思っております。本当に市民とのつながりとしては良いきざしはございまして、今回の活動を通じて、参加している役者と地域住民が知り合いになって、ようやくアイホールに足を踏み入れたとか、アンケートとかチラシを観て、ようやく劇場に訪れて、演劇とはこういうものだったのか、と思って、足を運んで、また次の公演のチケットを買っていく市民の方も現実いらっしゃるということは、非常に良い傾向だと思いますので、なんとか地道な地域活動を続けていくことによって、市民に必要とされる劇場というところの提案ができればと思っております。また、このタイミングで市、行政との話し合いを、一緒に考えるという機会を、どういう文脈で進めていいのか、というところがなかなか難しい、というのが現状です。これもまた命題として残っていくことであり、また早急にしなくてはいけない問題の一つだと思っております。

永井 
 舞台芸術はなにも特別なものではなく、専門的すぎるものではない。市民にいかに根付くのか、市民の方たちに愛されるのか、の着眼点といいますか、接点を見つけていくというのが、それぞれの町のやるべきことなのかな、と思います。私がいた知立市文化会館もそうですけれど、今も静岡市清水文化会館マリナートというところでプロデューサーをしておりますが、市民の方や、市の方とか劇場を運営する方と、俳優、演奏家、指揮者、作曲家、演出家などと接点をいかに持つかも大事なのかなと思います。演劇を作るのは何も密室で専門的なことをやっているだけではなくて、やはり観客がいて、作品があるわけです。観客がいなければまずは演劇作品も成立しないわけですから、お客さんがいかに楽しそうだなと思ってみにきてくれるかという工夫を劇場はするべきだなと20年ほどやってきました。ダンス公演を専門家の方々と一緒にやってきたり、ダンス公演を市民の方と一緒にやったり、プロと市民が参加したりとか、地域にある伝承芸能、文化団体と一緒にコラボしたりとか、すこし市民が関わりやすいきっかけを作っていくことがいかに大事かということを痛感しました。なぜかというと、オープンしたときなどは、市民から俺たちの知らないところで何やってんだ、というようなことを毎日毎日受付に来て言われてきたんですね。私も2000年あたりは非常に若かったので、おねえちゃんが受付に座ってなにしとんじゃと言われたり、専門家ってなんなんだという話もされましたし、税金使って好きな舞台やってんじゃないよとも言われてきました。その地域に演劇を観る人がゼロ、ダンスを観る人がゼロだった。それを、ゼロから何百人、何千人という観客を作っていく、いわゆる「創客」は非常に大事なのではと思います。今では地元出身のコンテンポラリーダンスの世界で有名な方々が公演をしに来てくれたり、ワークショップしに来てくれたり、劇場と学校の連携に力を貸してくれたりするようになりました。ですから、市民の方たちが色々なことをいいますけれども、劇場側が、そうではなくて、こういうことがあるから楽しいんだよと、こういうことがあるから文化芸術って大事なんだよという事のコンセンサスを行政の方と話し合っておくべきではないかなと思っております。改めてそう感じております。

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中学生のための演劇ワークショップ チラシ 2015年

Ⅲ、討論

discussion

瀬戸(司会)
 さまざまな問題がだされておりますが、これから討論に入り、会場からの質問を受け付けます。時間が限られていますので、できるだけ簡潔にし、挙手をお願いします。

 

質問1
 お話、とても興味深く聞かせていただきました。世田谷パブリックシアターで働いていたいた経験がありまして、自分に引きつけてすごく考えました。その時の実感からいうと、ワークショップやアウトリーチ活動が市民の方との接点という点で非常に重要だという実感を持っています。劇場に来なくても、芝居をみるお金を払わなくても、接点をもつことが出来る活動だと思います。
 小原さんにお伺いしたいのですが、アウトリーチに参加されていたというお話がありましたが、アウトリーチ活動はとても重要だが、劇場の稼働にはつながらないし、利益を生むものではないので、非常に評価が難しいということになります。その評価とか、今後自主事業はなくなってしまうかもしれないということですが、今後どうされるかお聞きしたいと思います。

小原
 ありがとうございます。世田谷パブリックシアターが非常に充実した活動をしていることは伺っています。作成されたリーフレット類をみて、すごくうらやましいなあと感じていました。アイホールのワークショップは他の多くの演劇ワークショップと同様に、直接劇場の利益になるということはしていないんです。それが、行政側からすると数値化されない、劇場の観客数に結びつくワークショップをやらないのかと言われているような感覚なんです。
 ちなみに市の行政担当者の二人のうち一人は音楽家で、「音楽は劇場に足を運ぶプログラムをやっているよ!」と自慢されましたが、演劇のワークショップは、その子の居場所を見つけてあげたり、友達との関係を演劇を通して再構築して新しい価値観をみいだしたりすればいいな、学びのこと、学校生活のこと、クラス作りのこと、をしていて、劇場に直接結びつくということは一切していません。演劇事業の売り込みのためにやる、ということは、私も他のアーチストも認識していませんし、そういう方針でやっています。アイホールの担当者もそういうことは言っていません。自己紹介として、アイホールから来ました、そこでは演劇をやっています、ということは言っています。アイホールのワークショップ事業、各小中学校に行くアウトリーチ事業としては、予算が降りない、という流れになりつつあります。教育委員会からお金をひっぱってほしい、という曖昧なことを言われていますが、その根拠は、大津留さんが詳しいと思いますが、出ないのではないか、と思っています。教育と結びつくものですから、市から共催費としてお金を貰えないか、そのあたりは今後交渉していく、という流れです。

質問2
 参考になるお話をありがとうございました。大津留議員にお聞きします。多くの演劇団体が市議会に陳情書を提出するなどの活動をいたしましたが、今後市議会の議論を演劇活動の存続の方向へと動かすために具体的にどのような支援活動が有効なのかご示唆をいただければ幸いです。

 

大津留
 ありがとうございます。なかなか難しいんです。この三年間、正味一年半でアイホールがでどれだけ実績をつくることができるのか?にかかってくるのかな、と思います。来年度、何も工夫をしないと、結局ホールが埋まらない、人が集まらない、というかたちでどんどん悪循環になって、「やっぱりそうでしょう、他に転用するしかないですよね」という話に説得力が出てしまう。だからさきほど小原さんからお話がありましたが、市民の方々と智慧を絞って活動していく、ぐらいしか私には思い浮かびません。逆に、どこか大きな企業と組んで××アイホールという形にすればいけるかな。申し訳ありませんが、そういうことです。

瀬戸 
 手があがりませんので、質問を考えていただく間に、小原さんに質問します。アイホールがこれまで主に上演してきた演劇は小劇場演劇で、実験演劇から始まっています。実験演劇は、分かる人だけ観に来てくれればいい、という立場の演劇でした。アイホールが今後もそれを中心にしていくのは私は全然反対しませんが、演劇ファンはともかく一般市民がいきなり観て受け付けられるのでしょうか。時には市民のための演劇として、木下順二『夕鶴』とかシェイクスピア『ハムレット』『ロミオとジュリエット』とか、そういう一般市民に知られている作品も上演して演劇の裾野を広げていくことも、時にはあっていいと思います。この考えは、実演者の立場でいかがでしょうか?

 

小原
 いろんな状況に両輪があるように、アートにも専門性とエンターテイメント性の両輪性があるかと思います。『夕鶴』もけっこう引かれるんですが、何も知らない市民がアイホールに来てとんでもないとんがったアングラをみせられて辟易する、ということは十分あると思います。もちろん何も知らない市民が観て十分納得する作品も必要だと思っています。それには潤沢な予算が必要ということもあります。来年のレパートリー提携事業は、まだみせられないんですが、ある団体は芸術祭賞を受賞した鉄板の作品を持ってきて住民の方に理解して頂こう、そういう流れは現在あります。

 

質問3
 望む会の一員で伊丹市民です。全国的に文化ホールは指定管理者制になっていきていると思います。指定管理者である財団=アイホールに専門性が移り、市が専門性を喪失して財政権だけを持ち専門性に理解を示せなくなっている状況だと思います。こういう状況下で劇場側が市民との連携強めて活動の質を高めていきたいと思っても、市の側がそれに対して理解を示さなければ前に行きづらいのではと思います。今回のアイホールのような状況が起きたとき、永井先生が言われるような市民との関わりを持つことができるのだろうか、ということについてお伺いしたいと思います。

 

永井
 劇場プロデューサーをやってきたといいますと、潤沢に資金があって周りに理解がある人がいた、というふうに見えるのですが、私は都心ではなく地方都市で、鑑賞者がいない、演劇を観たことがない、舞台芸術はよくわからんという地方都市でプロデューサーをやってきました。その立場の者としては、行政の方と一緒にやって時間はかかりましたが、毎日のようにディスカッションをしてきました。急に、芸術作品です、これをやりましょう、というわけにはもちろんいきません。やれるところから始める、いっしょに良い新しい本を捜す、そういうところから始めていきました。演劇って、ひとりでもふたりでもでき、大勢の人がいなければできない、ということはもちろんないが、良い舞台を作ろうとすると、専門性をもったアーチストと市の人、三人ぐらいが膝をつき合わせて充分な話し合いをすることで、改善点、打開点が見いだせないことはない、と思っています。
 もし地元に保存会があったり商店街に演劇大好きという人がいたら、その人たちと話して、シェイクスピアとは言わなくても、泉鏡花とかが大好きな人がいるかもしれないので、じゃあ、鏡花の語りをしましょうか、そこにヴァイオリンを入れましょうか、効果音をいれましょうか、とかするだけでも少し楽しくなるのでは、と思います。私は専門性を持つ者という立場でしたが、そういう感じで行政の人と関わってきた、という経験があります。

質問4(質問2と同一質問者)
 大津留さま、ありがとうございました。ご苦労お察し申し上げます。ありていに言えば、ブランド化、つまり演劇や興業において、それなりに知名度のある方たちがアイホールの活動に参画していってほしい、ということでしょうか?

大津留
 もちろん、そういう方が多く来ていただくことはインパクトがあります。ただどれだけ市民の方々がアイホールとからんでいけるのか、市民の方々が自分たちのアイホール、いわゆる「マイホール」だと考える環境を作れるのか、というその一点に関わると思います。そうなると、市の方もあんまり無茶はできない。小原さんから出されたようにいろいろな方法があると思いますが、そういう状況をこの一年半ぐらいの間に作れるのかが、キーになると考えております。

 

質問5
 僕は、村芝居、農村歌舞伎、素人歌舞伎の研究をしておりますので、小劇場については専門外なのですが、演劇史からいいますと、神社に舞台をたてるというのは非常に一般的で、市民が自分の劇場を持ってたてるという歴史がありました。今回、公共劇場の話をうかがっておりますと、劇場が先にあって、その中を埋めようとするので、こういう問題はいろんな所で頻発するのではないのかなと思います。なので、そういう、劇場を先に作って文化を作っていくというモデル自体が僕は難しいのではないかな、と思いますが、その点についてみなさんのご意見とかお考えとかをうかがえたらと思います。

瀬戸
 特にどなたへの質問ということはないようなので、非常に幅の広い質問ではありますが、まだ質問を受けておられない畑さんいかがでしょうか。


 これは私には手におえないとても大きなテーマだと思います。確かに、何かを表現したい人たちが集まってそこが劇場になる、というのが本来の演劇の姿だったというのは、多くの古典芸能の源流をみていてもそうですから、そうなのだと思います。その始まりのマインドというのは忘れていけないことだと思います。大阪の野外演劇の劇団なんかも割合そういうところから始まっている集団が多かったですから、それは大事な視点だと思います。ただ、現代の都市には、表現者が自由に使える公共空間がほとんどありません。代わって、行政システムの中でですね、公共の施設を中心として街づくりをするというような発想が出ていて、その枠組みの中で何ができるか、というのを考えざるを得ないところがあります。それとの両輪というか、演劇というものにはそういう原初的な力もあるんだということを忘れずにやっていくしかないのかなと思います。

小原
 伊丹のアイホールという立地は意外と面白いところで、荒木村重がいた伊丹城の天守閣の跡なんですよ。そういった歴史的背景が構造的に眠っているという面白さがあって、伊丹市の重要な文化施設は有岡城の中におさまっていて、その天守閣の中、良い意味にも悪い意味にも怨念みたいなのがあったりします。心理的な場みたいなのは実際あって、それは私たちのアーティスト側も鎮魂の場としての劇場みたいな、僕は個人的にそういう意味で捉えていて、そういう崇高な魂の浄化みたいな場として捉えている人もいたりします。荒木村重の研究会を立ち上げている方たちが、来年度荒木村重をテーマとしたものを上演しましょうという動きもあって、そういう土着的なノリというものは潜在的にはあると思います。偶然マンションを作って、都市計画を考えた時に、丁度あの土地が小劇場を作る場所の空間としては良いんじゃないかといって建っているのがアイホール。そういう歴史的な偶然が一致していけば、歴史を借りて盛り上がるというのはあると思います。ちょっと脱線気味の話でした。

Ⅳ、まとめ
瀬戸
 最後にパネラーの方ひとり一分ぐらいでまとめをしていただきたいと思います。畑さんから今日のセッションを聞いての感想をお願いします。


 本当に難しい問題で、小原さんら演劇人の方々が、ご自身のお仕事に加えて伊丹の市民の方々とのつながりを作る仕事をしてらっしゃるということがわかりまして、非常に興味深かったです。私は取材で色んな所に行くんですけれども、近年は世の中の考え方が非常に内向きになっていて、しかも発想が短期的になっている感じがします。20年30年後にこういう成果があるということよりは、すぐ目の前にあることを手っ取り早くなんとかしたい、なんとか早く手に入れたい、というような考え方が目立ちます。これはもうほんとに大きな、社会的な問題なのかなと思います。時間や空間を超える想像力を養うことに演劇が役立つと考えるなら、演劇はこの状況をなんとか打開していってほしいなと思いますし、その動きをこれからも、追いかけていきたいと思います。

 

大津留 
 この間の経緯を私はアイホールショック、と捉えています。関心がなかった、目の前にあるホールが、こんなホールだったんだ、とみんな、良くも悪くも認識した、この半年間だと思っています。今後の街づくりをどうしていくのか、しっかりと市民の方々と連携をしながら進めていきたいと考えています。本日はありがとうございました。

小原 
 非常に有益な時間を過ごさせていただきました。いろんな意見をお聞きしたうえに、非常に多くの方に関心を寄せていただいて、多くの人にお話を聞いていただけたというのも非常に私の中では力になると思っています。引き続きなんとか伊丹市の市民とのつながりを強くもっていき、来年度からなるべく、もう少し具体的なボランティアやサポーターと組織委員会と、名前をしっかり提示して、訴えを打ち立てて、住民の方と強いつながりを持ち、行政の方と前向きなディスカッションに持ち込めたらいいのではないかなと思っております。まずは、今月19日の、有岡地区の自治会長のもちつき大会に参加して、あんころ餅をたべて考えたいと思っています。ありがとうございます。

 

永井 
 さきほどの質問の回答にもなるかもしれませんが、だいたい、建物が建ってからソフトを考えるということは実はなくてですね、基本計画の時に何に使いたいか、市民にどう使ってほしいか、どう愛着がわくようにしたらよいか、ということを議論したうえで、設計に入る、ということになっております。私も劇場にいた時には、伝承芸能として神社に奉納する山車、文楽、からくりといったものをいかに劇場の拠点と連携していくかということに力を注いできました。それによってさらに発展してきたという経緯もあります。市民のみなさん、先ほど言ったようなボランティアやサポーターといった近い市民の皆さんプラス、全く関心のなかった方々へのアプローチも、劇場の運営次第ということが実際問題あります。その辺り、いい運営をまさにこの絶好のタイミングでふんばっていただけることを願っております。本日はありがとうございました。

 

瀬戸
 今日出た問題は、非常に多方面にわたっておりますので、まとめということはとてもできません。学会の任務には考える材料を提供することもあり、十分に演劇学会の主旨に合致した分科会になったと思います。あまり多くは申しませんが、分科会セッションを実現するにもちょっと大変なこともあったのですが、苦労したかいはあったというのが、司会・コーディネーターの私の実感です。このセッションの内容は、できるだけ早く文章化して、より多くの人に考える材料を提供したいと考えています。皆さま本日はありがとうございました。

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